2018年05月27日

光満ちた世界(1)

 こうやって壇上から見ていますと、本当に
光が満ちておりましてね。皆さんの体からも
心からも、それから、気持ちの流れからもね、
本心からも、ありとあらゆるところから光が
出ていて、そうして、お互いの体とか心だけ
じゃなくて、光がお互いに呼び合って、
大光明になって内も外も浄めてゆく。そういう
情景が私の方から見えます。

 本当は、人間のその見える見えないという
ことなどは些細なことでしてね、ささやかな
ことで。光というものはとにかくあるんだ
ということ、光の命によって我々は生きて
いるんだということ、そのことが一番大事な
ことなのであります。

 光のいのちというのは何かというと、
これは神様のいのちだ。神様というのは何か
というと、これは愛と平和とゆるしの源だ。
 愛と平和とゆるしというものが我々の
生命の根幹にもなっているし、大宇宙の
秩序にもなっているし、もう話を大きく深く
していったら、神様という方は、この
三つのものを現わす為のものにすぎないと。
 大愛という大河の流れの中にいらっしゃる、
それが神様だということが言えるんで
ありますが、しかし、そこまで話を大きく
しなくても、私達の中にこの光が交通
しておりましてね、交流して我々は実は
生きてゆくことが出来る。

 光というものを見えなくても、例えば、
ほほえみですね、笑顔によって心をなごませる
ことができる、なごむ心があるということを
申しましたけれども、その笑顔の中にやっぱり
光が宿るんです。ろうそくの光がポーッと
ともるとそこが明るんで、そうして、
夕暮れ時や夜など、他にあかりがありませんと、
そこにあかりが集中しますね。そして、
お盆に、宗派によってはね、浄土真宗
なんかだと、お迎えの桃燈があり、その
あかりを頼りにして帰ってくるという信仰が
ありますね。そういうろうそくの一本の
あかりというものが、その中に何が入って
いるかというと、皆の愛念ですね。迎えよう
迎えたい、一緒になりたい一体になりたいと。
私達は、生きている人も死んでいる人も
そうですけれども、この人と一体になりたい、
話がしたい、仲良くなりたい、喧嘩をしたく
ない、色々な想いでもって、相手と関係を
結んでゆく。相手と仲良くなりたいという
ことで笑顔を送る時に、その中に光が
入るんですね。祈りが入ってゆくんですね。
その時に、別に南無阿弥陀仏と言わなく
とも、祈り言を唱えなくとも。だから、
笑顔というものはすごいものです。笑顔は
本当に光を生み出すものですね。
             (翌日に続く)
posted by wadatsumihirohime at 08:48| 祈り | 更新情報をチェックする

2018年05月26日

業を浄める(5)

      (前日からの続き)
 何も無理なこととか、あなた方の分相応
以上のことを突然やらせようなんてことは誰も
思わない。だけども、あなた方がこれが私の
分相応だとか、これ以上私は出来ないとか
思ってるその枠というものを、神様というのは
守護の神霊というのは取っぱらってね、本当の
人間というものはそんな小っぽけなもんじゃ
ないよ、あなた方の中にも本当の人間が
息づいているんだよということを知らせよう
知らせようとしている。だから一番いいのは、
私は何も出来ないけれど、神様がさせて
下さるんだったら私はやりましょうという、
そういう心ですよ。そういう心でもって、
皆で和顔愛語でやってかないと。神様の言葉
だからといって、しかめっ面でやって
いっちゃあ駄目。和顔愛語なんです。色んな
人がいるんですから。色んな人の悲しみがあり
悩みがあり苦しみがあるでしょう。それをね、
溶かしてゆくのは柔らげていくのは
笑顔なんです。何をどう難しいことを真理の
言葉を言えるか言えないか、そうじゃない。
 やっぱり笑顔なんです。笑顔というものはね、
色んなものをとかしますよ。色んな立場の人、
たとえ宗教の人であっても何であっても、笑顔
というものを見た時に、人間というものは
やっぱり慰められるね。笑顔にはぬくもりが
ある。笑顔とぬくもりというものでもって
人間は息づいていくんです。ほっとするんです。
 何故かというと、その笑顔とぬくもりの中に
神様の愛の源というものはあるんだから。

 だから、難しいことを言おうとかね、これは
こう言わなきゃいけないとかね。ねばならぬ
からは何も生まれてこない。ねばならぬと
思わないで神様に任せてしまえばね、そこから
言葉も出てくる、想いも出てくる、ね。真理の
言葉だって、自分がこんなことを言おうと
思わなくったって、色んないい深い言葉が
出てくる。口をついて出てくる。それは神様が
しゃべらせて下さる。語らして下さる。
 あるいは、そこへおもむかせて下さる
訳ですから。

 だから、人間への他力本願ではなくて、
本当の意味で神様に任せて、他力になって、
そうしてその他力になった上での自力をね、
自分の努力をね。自分の癖は自分がよく
知ってましょ。だからその癖をよくとらえて、
自分が息をしやすいように、決して自分に
無理がいかないようにね、自力と他力を融合
させて明るい生命の宗教というものを作って
いかないといけない。それが、私が
大神様から命じられたことなんだから。

 今、もう人類が、人間がね、分かれて、
ああだこうだ、こっちだあっちだと言ってる。
 そういう時代じゃないんです。どんな人
でも、とに角、結び合って寄り合って生きて
いける、そういう世界をつくってゆく。それが
神様の本来の願いなんだから、祈りなんだから、
その心で人間が皆ここへ来ているんですからね。
 その為に皆が生きてる訳だから。そこへ
目指しての祈りをやっていかなきゃいけません。
 ね、だから、私は出来ないというのだけは
やめて、私にさせて下さい、何が来ても、私は
出来ないと思うかもしれないけれども、次の
瞬間には、神様、あなたの中に全部
放り込みます、というそういう信仰を養って
いただきたいと思います。
       昭和63年8月26日
posted by wadatsumihirohime at 11:37| 祈り | 更新情報をチェックする

2018年05月25日

業を浄める(4)

      (前日からの続き)
 我々は滅びのない生命へ向う為に祈りを
やっている。その滅びのない生命というのは、
ただ我々だけが助かろうとか、我々だけの神様
であって欲しいとか、愛念であって欲しい
とか、そういう利己を求めての祈りではない
わけです。我々の本来心というもの、本心の
座というものね、そこへ深く信頼して、それが
皆の生命の中に平等にあるということを思って、
そして、その光のおもいを世界中にまくんだ
結ぶんだという信仰でもって、この祈りを
ずっと続けていった時に、私達のこの祈り
というものは、ただ本当に光になって光明に
なってかけ巡るんです。

 だから、私よりもあの人の方が経験が
あるからとかね、そんなことは、神様から
見たら問題じゃありません。あなた方の魂
というのはだいたい古いんだからね。皆
それ相応に古いんですよ。誰が特別古いとか
いうんじゃなくって皆古いんです。古い魂を
もった人たちが、何十代何百代と生きてきて、
五井昌久に会ったんです。だから、あなた方に
印をきれとか、何とかという。私に出来る
だろうかという様なことをいう時というのは、
あなた方がやるんじゃないの。あなた方を
通して神様が働くんですよ。私に出来っこない
とかね。そんなこといってたらいつまで
たっても地上の光明化というのは、狭い範囲
でしか出来ていかないんですね。そんなこと
では駄目なんです。世界平和の祈りというのは、
人間本来の生命に根ざしたエネルギーという
ものをね、それぞれの立場の人達の心の中に
植えて、そうして、それを引き出して
広がらせる。そういうものすごい力を
持っている。だから、ピースポールが一本しか
立たないとか何とか、そんな小っぽけなこと
考えるなということですよ。ピースポールが
一本立つか立たないかというのは、それは
その時の時期の問題ね。色んなことが
からまってるんです。で、その色んなことが
からまる上に、皆の想いとか思惑(わく)とか、
そういうものが邪魔をしちゃあ駄目なんです。
 何事も神様がいいようにして下さる。だから、
そこへ向かって、想いを明るく切り変えてね、
そうして精進してゆく。するだけのことは
しました。後はお任せしますってね、という
ことばがありますよ、あれなんですね。

 イエスの十字架だってそうです。釈迦だって
そうですよ。大涅槃に入ってね、後は、あれは
お任せしますなんです。任せるということが
ないことには宗教というものは本当には
根づいてゆかない。我々を導く生命の根元の
神様の大愛というものがあるということを信頼
しないことには、我々の信仰というものは
深まってゆかないんです。
              (翌日に続く)

posted by wadatsumihirohime at 08:18| 祈り | 更新情報をチェックする