2016年09月30日

続 さやけき生命(6)

        (前日から続く)
 しかし、本当のところを言えば、神様と私の
関係なんですね。神様と私達の関係でもある。
 人類と神の関係でもある。世界人類と私、
世界人類と神、という関係でもあります。
 そこには比べるものなど全くないわけですよ。
 分けへだてもないし、上下関係もない。ある
とすれば、無限に広がっていく、それだけですね。
 あなたと私は兄弟なんですよと。同じく神から
分かれて来た生命なんですよと、分霊(わけ
みたま)なんですよと。だから、世界人類が
平和でありますようにと祈りをしている時に、
皆んな気持ちが平和になって、国連の時も
総立ちになって拍手が来たというのは、皆んなが、
ああ私達一人一人がみんな兄弟姉妹なんだなあ
という一体感を、観念じゃなくて、本当に実感
したということですね。

 そういう心を、一人一人の中に植え付けていく
運動というのが、祈りによる世界平和の運動
であり、この祈りによって皆んなが平和になって
行くという運動です。この運動は、なんか大きな
言挙(ことあげ)をして、我に大義あり、我こそ
正義というような運動じゃないんですね。一人
ずつ一人ずつ本当に一歩一歩、無理なく、本心へ
ひびいてゆく。一人一人の人達が、ああ本当だな、
ああそうだなあ、これは真理だな、そういう
気持ちは私の中にもあるなあ、と共感する。
          (翌日へ続く)
posted by wadatsumihirohime at 09:14| 祈り | 更新情報をチェックする

2016年09月29日

続 さやけき生命(5)

       (前日から続く)
 ところが人間というのは、ああ私はだめだなあ
とか、まだ出来てないなあ、自分はまだまだ
だなあとか、謙虚ではなく自己否定
してしまう。卑下してしまう。それは
よくないですね。
 自分を赦しという教義がありますが、自分を
本当の意味で解放して行ってやらないと、ああ
自分なんてとんでもないということになる。
 とんでもない存在を、人間を、神様が造る
はずがないんですね。この世に遣(つか)わす
筈がないんですね。だから、うちの昌美が
「あなた方は尊い器なんです」ということを、
いつも言うのは、感情の中ではそんな筈はない
と皆んながまだ思ってるので、言葉だけでも
尊い器なんですと、いやという程入って
来ないと変わらない位、頑固に、自分はダメだ、
まだまだだ、あの人に比べたらと思っている。
 なんか人と比べないと自分が安心できない。
 確かにそういうものもありますよ。人と自分
との関係で自分の価値をみい出してゆく。
              (翌日へ続く)
posted by wadatsumihirohime at 06:39| 祈り | 更新情報をチェックする

2016年09月28日

続 さやけき生命(4)

       (前日から続く)
 今の人達というのは、みんな派手めに動く、
オーバーに動く。今の言葉で言うと
パフォーマンスをする。パフォーマンスを
した方が何か勝ちみたいなことになっているん
だけれど、ところが真理というのは、それは
動かないものです。
 真理とは静かなもので本質そのものです。本質
というのは神様から流れて来ているものです。
 その神様は何を流しているかというと、人間に
対する愛情、愛念を流している。
 だからといってそれを大げさに受けとる必要も
なく、素直に喜ぶのはいいが、大げさな関係が
人間と神様の関係でもないのです。真理という
ものは飾らないし、愛というものも飾らないし、
愛というのはどこから見ても愛です。もう表も
裏も無くて、ただ愛なんです。表は愛だけど
裏はウラミツラミだというのは、これは愛じゃ
ない。どこをどう探したってつついたって愛
そのもの、それが神様から流れて来ている
愛ですよ。何の引っ掛(かか)りもない、何も
責めるところも裁くところもない。
              (翌日へ続く)
posted by wadatsumihirohime at 07:17| 祈り | 更新情報をチェックする