2016年10月31日

みんな光の子ども(1)

 単純に言いますとね、みんな私の
子どもだなーと。「私の」というのは、
五井先生というのは個人じゃないのね。
 五井先生というのは、もう天に帰っていて、
天の私と地上の私が合体してしまったから、
一個人の五井昌久というものは、もう
無くなってしまっているんです。そして何回も
書きましたけど、空独尊、もう空になっている。
 阿弥陀さんの生命が、お釈迦さんが、
あるいはキリストの生命が、私という個性も
残ってる肉体の場所へ流れ込んで来ていた
だけの話でね、迷ったり悩んだりという
五井昌久個人のそういうものは消えてしまった。
 それは植芝先生もそうですね。植芝先生も
或る日庭を散歩している時に、天地鳴動して、
武道とは神様の愛(合)の気が流れて
いるんだ、合気道とはそういうものだ
と悟られた。
         (翌日へ続く)
posted by wadatsumihirohime at 16:06| 祈り | 更新情報をチェックする

2016年10月30日

水のようにさらさらと流れてゆく生命(27)

        (前日から続く)
 間違いのない道を私達は歩いている。その
間違いのない道は、高慢になってはいけないし、
人に押しつけてもいけないけれども、
自分の中に、静かに、自分は間違いのない道を
歩かしてもらっているんだな、守護の神霊
によって歩かしてもらっているんだな、
自分達の中にはいつも世界平和の祈りが
鳴り響いているんだな、そういうふうに思えば
何も怖い事はないし、何も恐れる事もない。
 恐怖心が無くなってゆく。

 この世界平和の祈りは、とても広大な目的を
もって今、宇宙の中に鳴り響こうとしているし、
そういう時にあなた方は今ここにいるんだ、
一緒に平和の祈りをする仲間として、ここに
いらっしゃるんだということを肝に銘じて
おいて下さい。
   「水のようにさらさらと流れてゆく生命」了
posted by wadatsumihirohime at 08:48| 祈り | 更新情報をチェックする

2016年10月29日

水のようにさらさらと流れてゆく生命(26)

      (前日から続く)
 ですから、元々の生命がさらさらして
流れているというのは、これは観念ではなく
事実なんです。ものすごい事実を言ってる
だけのことなんです。それがこの地上で
生きていると、忙しかったりせわしかったり
するもので、そんなもんだと思えない
というのが人間なんですけれど、もうすでに
皆さんは、そんなものだと思えないという所を
抜けかかっている。もっと高い所へ昇って
行こうとしている。だから自然に身体も心も、
その抜けかかっているところへ任せて、
上からの光で自分が強められ、やさしく
たくましくなるように、祈って祈ってやって
いかれたら、もう全く間違いがない
と思います。
          (翌日へ続く)
posted by wadatsumihirohime at 08:16| 祈り | 更新情報をチェックする