世界平和の祈り
のなかに
人間の
本当のすがたが
あらわれて
いるのです
明るく
朗らかな
いのち
さりげなく
やさしく
ほほえんでいる
いのち
祈ってゆくにしたがって
光につつまれた
すがたが
光を放っている
自分自身が
みえてきます
そのすがたは
最初は
ひとりに
みえるけれど
よく目をこらして
みると
ひとりでは
ない
同志の人々と
ともに祈っている
さらによくみると
友人知人
とともに祈っている
その守護霊守護神
とともに祈っている
あらゆる
霊人とともに
祈っている
そして
それらの人々の
すがたが
神の
大円光の
なかに
吸い込まれて
あなたは
私の
柏手と
口笛のなかに
統一しながら
祈って
ゆく
あなたのなかに
神の息吹きが
あって
それらが
高く高く
世界平和の祈り言によって
澄まされ
自在身(心)として
自由に
こころを
どこにでも
ふりむけることのできる
あなた自身を
見出してゆく
一切は
消えてゆく姿
のこるものは
神の光明
神の大愛
その
神の愛と光の
わかれである私たちは
世界平和の祈りを
唱えつづけることによって
自らを
永遠者のこころ
久遠の光へと
とけ込ませて
ゆくのであります
世界平和の祈りのなかに
すべてがあり
私どもは
世界平和の祈りによって
つねに新しく
生きてゆくことが
できるのであります
平成2年3月10日
2016年11月24日
世界平和の祈りのなかに すべてがある
posted by wadatsumihirohime at 09:24| 祈り
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2016年11月23日
私は 人間を神の愛へとかえしてゆく働きを…
一体
五井先生というのは
個人では
ないのです
それは
五井昌久に
あらゆる
神の愛の働きが
移っている
姿なのです
ですから
私は
いつもいっていたように
空っぽで
ただ
私というものは
混沌の生命
大元の生命の働き
縦横無辺の
神の愛の働きを識って
朗らかに
何もおもわず
ただ
人々を
そのままに
分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)
としての自分自身に
それから
神自身へ
かえしてゆく
人間を
大神さまの
神の愛へと
かえしてゆく
そういう働きを
地上にあったときも
そうして現在も
これからも
なしつづけているのであります
ですから
みなさんは
安心して
世界平和の祈りを唱え
五井先生を
よびながら
毎日を生活して下さい
平成2年3月10日
五井先生というのは
個人では
ないのです
それは
五井昌久に
あらゆる
神の愛の働きが
移っている
姿なのです
ですから
私は
いつもいっていたように
空っぽで
ただ
私というものは
混沌の生命
大元の生命の働き
縦横無辺の
神の愛の働きを識って
朗らかに
何もおもわず
ただ
人々を
そのままに
分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)
としての自分自身に
それから
神自身へ
かえしてゆく
人間を
大神さまの
神の愛へと
かえしてゆく
そういう働きを
地上にあったときも
そうして現在も
これからも
なしつづけているのであります
ですから
みなさんは
安心して
世界平和の祈りを唱え
五井先生を
よびながら
毎日を生活して下さい
平成2年3月10日
posted by wadatsumihirohime at 08:05| 祈り
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2016年11月22日
世界平和の祈りは 本来心に呼びかける祈り
世界平和の祈りというものは
どういうものかと
いいますと
先ず
人間の
本来心に呼びかけるんです
本心に呼びかけてゆく
そして
人間というものが
この不自由な
肉体界のみならず
三界を
自由に
生きて
神の光の分かれとしての働きを
大神さまの
みこころのなかに入り切って
大愛のなかから
祈りのうちに
なしつづけることができるように
なるために
ここにも
かしこにも
存在しているんだ
ということを
頭ではなく
からだで
知ってゆく
そういう
祈りであります
すなおに
我々のいのちを観じてゆきますと
本当に不思議な守りのうちに
日々を生かされている
それは
いつも申しておりますように
守護霊守護神の
守りがなければ
また
神々の神霊方の愛念がなければ
私どもは
一瞬間も存在することは
できないのであります
それは
地上ばかりのことではありません
私どもが
霊界移行をして
修行の場をかさね
統一を
くり返して参りますあいだに
この真理を
一層
肌身に沁みて
教えられてゆくもの
なのであります
ですから
何よりも
ひたすらなる感謝行というものが
人間にとっては
必要になってくるのでありますが
なかでも
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
という
世界平和の祈りを唱えますときには
私どもは
光のいのちとしての
自分自身の
本心本体と
すなおにむかうことが
できるのであります
もしも
何かのおもいにとらわれているときでも
私の名を呼び
世界平和の祈りを唱えてゆくときには
かならず
人は
その本来のすがたへと
たちかえることになるのであります
平成2年3月10日
どういうものかと
いいますと
先ず
人間の
本来心に呼びかけるんです
本心に呼びかけてゆく
そして
人間というものが
この不自由な
肉体界のみならず
三界を
自由に
生きて
神の光の分かれとしての働きを
大神さまの
みこころのなかに入り切って
大愛のなかから
祈りのうちに
なしつづけることができるように
なるために
ここにも
かしこにも
存在しているんだ
ということを
頭ではなく
からだで
知ってゆく
そういう
祈りであります
すなおに
我々のいのちを観じてゆきますと
本当に不思議な守りのうちに
日々を生かされている
それは
いつも申しておりますように
守護霊守護神の
守りがなければ
また
神々の神霊方の愛念がなければ
私どもは
一瞬間も存在することは
できないのであります
それは
地上ばかりのことではありません
私どもが
霊界移行をして
修行の場をかさね
統一を
くり返して参りますあいだに
この真理を
一層
肌身に沁みて
教えられてゆくもの
なのであります
ですから
何よりも
ひたすらなる感謝行というものが
人間にとっては
必要になってくるのでありますが
なかでも
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
という
世界平和の祈りを唱えますときには
私どもは
光のいのちとしての
自分自身の
本心本体と
すなおにむかうことが
できるのであります
もしも
何かのおもいにとらわれているときでも
私の名を呼び
世界平和の祈りを唱えてゆくときには
かならず
人は
その本来のすがたへと
たちかえることになるのであります
平成2年3月10日
posted by wadatsumihirohime at 07:07| 祈り
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