2017年01月22日

臨死体験については

 (質問)最近、NHKがスペシャルで特集
したり文芸春秋などでも臨死体験がクローズ
アップされたりしていますが…。


 (答)死ぬ時には、向こうへ往く人も帰る
人もあるけれど、臨死体験で語られるように、
そういう風に感じたり見えたりするのですが、
それは、その人の心境や、今生あるいは前の
世でどういう生き方をして来たかということ
によって、見え方も違うし、迎えに来る人も
ちがう。

 今、臨死体験が多く出てきているか
というと、どうもこの世だけではないらしい、
物質だけではないらしいと、死んで終わり
だけの生命ではないらしいということに皆が
少しずつ気が付いてきているからそうなる。
 そういう現われの一つと思えばいいんですね。
 それにとらわれる必要はないんです。みんな
違うのですからね。

 村田さんが書いているように、白光の同志の
人達が往く時には、天上の音楽が鳴り、霊人が
迎えにきたりと色々あるでしょう。みんな
それぞれの宗教縁によって、その迎えられ方も
みんな違う、違って当然でしょう。
 但し、違うけれども、それは、その人の魂が
死というものを恐れないで、肉体の死という
ものを受け容れて、ずーっと階段をのぼって
自由無碍になってゆくという、最終目標は
みんな変わらないんですよ。その人が納得する
かたちで、この肉体死というものをのりこえて
向こうへ往かないといけないから、みんな
それぞれ違うだけの話です。
posted by wadatsumihirohime at 10:38| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月21日

地方の集会は 中央から講師の派遣が必要なのか

 (質問)地方の集会というのは、中央から
講師を派遣してもらわないと発展進化は
ないのでしょうか。


 (答)そういうことないです。それじゃおかしい。
 〇〇さんが来ないと始まらないとか、〇〇さん
でないとだめとか、そういうことはない。
 みんながそれぞれ神様の光を受けて働いている。
 講師を呼ぶということは、神への道を一生懸命
励んで来た先達の人たちを呼んで、自分の中の
本心の光を呼び覚ますという事であってね、先輩も
後輩も本当はないんです。そのことによって覚醒
させるという、そのことだけです。ですから、誰が
えらいとか、〇〇さんがえらいとかいうことでは
ない。お役目として講師があり、集会責任者が
ある。あくまでお役目としてある。地位として
あるわけではないでしょう。その持ち場に
その人がいるということだけの話ですよ。
posted by wadatsumihirohime at 11:28| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月20日

五井先生は いろんな場で働いておられると思うが…

 (質問)五井先生は、富士聖地にも降りて
来られるし、こういう場にも、そして世界各地で
働いておられると思うんですが…

 (答)そりゃあ太陽みたいなもので、それで
いいんじゃないですか。理屈はいらないと
思いますよ。太陽は大きな光で誰でも
見えるでしょ。朝起きると、春夏秋冬いつでも
あなたを照らす。五井先生というのは、
いくつもの分身がいて、縦横無尽に行けますから、
呼べば必ずどこでも行きます。その人が見える
見えないにかかわらずね。
 こういうことを(五井先生からのメッセージを
受ける意味)やれる人は本当は沢山いるんです。


 (質問)え、他にもですか?

 (答)いる筈です。いなきゃおかしい。
 みんながそうやって分けられていって、
みんなが平和にしていけば楽ですよ。しかし、
私という我(が)が混ざるとへんになる。
 たとえキリストが再臨しようが、そこに
私の想いというものが混ざり出したら、へんな
風になるでしょう。だから、ここにいる人は
利害なんてものは全然関係ない人でしょ。何も
思わない人でしょ。だから出て来ている。
 そういうことじゃないですか。ですから、
みんなが素直になれば、みんなが五井先生に
なるんです。みんなが五井先生の光を受ける
ことが出来るんです。
posted by wadatsumihirohime at 10:06| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする