2017年01月19日

神様が全部 借金払いをしてはくれないのか

    (前回の質問の続き)
 (質問)全部はだめなんですよね(笑)


 (答)そうですよね。そうやって自分の肉体が
どんどん霊化される。神様の力によって霊化
されることは非常に楽だけれど、地球を、自分の
力である程度耕やしてゆくということがあって、
次の星にも行けるし、天界での仕事も出来るし、
つまり、生まれ変わらなくてもよろしいという
通行手形を、そこでもらうわけですよ。
 もう生まれ変わらなくていいですよというのは、
本当のことなんだけれども、今、全部資格が
整っているわけじゃない。皆んな、やはり
悩んでいるし、苦しんでいるし、しんどいしね、
色んなことがあるわけでしょう。
 じゃあそれはどう考えたらよいかというと、
100万円のうちの80万円は、四次元の印
によってかりとりますよと。しかし、あとの
20万か30万は自分で算段つけて何とかやれよ
ということですね。その20万か30万の自分の
ことだけで四苦八苦するんじゃなくて、地球人類の
平和とか、この世界に微妙なる神の光を降ろして
いこうというのは、あなた方には、もう出来るように
なっているんです。それを1万人なら1万人の
人がね、世界平和の祈りを祈って、先頭を
きらないと、だめな時期に来ているということです。

 国と国が分かれ、主義と主義が対立し、もう
そんな時代ではないけれども、最後のアガキが
出て来ている。
 その最後のものというのは、ものすごく強烈な
現われですね。それが地球人類全体が平等に
浴びている訳です。ところが、世界平和の祈り
のような、救済力の強いお祈りで少しずつでも
浄化されてくれば、その業も浴びなくて
済むんだけれど、強烈に強い光が入りすぎると、
初めて参加の人たちにはその人自身がダメに
なってしまうことがある。だから、その人たちを
守るためにも、今は会員だけということにして
しまわないとだめだということですね。
 実際に会員一人が祈ると、その人の先祖の
すべてのものがぐっと引き上げられていく、
そのくらいの力があるんですね。皆さんの祈り
というのは、その光が入ってゆくと、先祖は横に
つながっていますから、自分以外の人にも
全部いく。タテヨコにつながっていますからね。

 以前は体を運んでそこで行(ぎょう)をするという
形ですね。ゲスト出席でもその人が参加しないと
だめだった。しかし今は、行かなくても、霊体で
そこへ来るということが出来るようになった。但し、
肉体意識が強い人が入ってくると、粗い波動で
受けるので、多少祈りが深くなっている人達が
やらないと辛くなりますよということです。
posted by wadatsumihirohime at 08:26| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月18日

本部行事では 特別な光が降りてくるのか

 (質問)本部行事に参加する場合、特別な光が
降りてくるのでしょうか。

 (答)霊妙なものが全部降りて来ます。その
霊妙なるものを、みんな受ける器に成長しつつ
あるんですね。しかし、個人的なものは、なかなか
変わらなくて、先程言ったように、自分自身の宿題
として果たして行かなきゃならないものだけが、
あとに残るわけです。自分が払っていかなきゃ
ならない借金は、もちろん神様の方から援助が
あるけれども、神様が借金を棒引きしたとしても、
二割三割は自分で払いなさいよと、それが
ある訳です。
posted by wadatsumihirohime at 09:43| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月17日

愛深い人間になる為に(5)

       (前日の続き)
 人を愛する。愛するというのも色々
ありますけれども、愛するというのは、
愛(いと)しく想う、可愛く想う。ね、
この人はとても朗らかで笑顔が良くって
いつも会うとニコニコしてて、こういう
人は愛し易いですね。心に浮かべただけで
自分の心が和んできますね。その人を
浮かべることによって、自分も力が
出てくる。愛しいとしは一つなんですが、
そこで今度は人を容れる。容れるという
ことは何だろう。
 容れるというのは、自分の心が無理な
時にでも他の人のことを考えて、そうして
自分の方へ引き寄せる。もっと砕いて
言うと、ゆるすということでしょう
けれども、これはなかなか出来ること
じゃない。

 先程申しましたね、人間の色んな
やり切れない想いとか何だとか。色んな
ごちゃごちゃしたものが出ます。で、出て
出っ放しだと救われませんから、私は
そこで、消えてゆく姿ということを
申しまして、それでいいんだよ、いいんだよ
と言いながら、皆さんを祈りの座へと
高めていく。そのお手伝いをしている
訳ですけれども。出しながらどんどん
どんどん自分の色んな嫌な救われない
想いを出して出して出してカラッポにして、
そして、世界人類が平和でありますように
という中へスーッと統一して出し切っちゃって、
もうこれ以上愚痴がありません嘆きが
ありませんという所まで出し切ってしまうと、
今度カラッポになった中に何が入って来るか
といったら、静かになった中に、今度は
人の心の想いがそのまま大きな深い流れ
となって入って来る訳です。

 あるいは、皆さんの心の音信という
ものを聴き分けている他の人の心という
ものが、扉を叩いて来る訳です。そうした
時に何が働き出すかというと、愛(いと)し
愛(あい)しが働いてくる訳です。
 ということは、無理に受け容れるんでは
ないんです。無理に受け容れるというのは、
これは枷(かせ)なんですね。無理に
受け容れるということはないんです。
 あるいは、ゆるすということもなかなか
人間出来るもんじゃありません。ましてや、
色んな事言われて拒否されて、何だかんだ
されて、自分がこれだけしてやったのに
相手はという想いになっている時に、
なかなかそれが出来るこっちゃない。
 出来るこっちゃないけれども、ただ
やっぱり、祈りの中に一つになってしまうと、
あるいは自分がカラッポになってしまうと、
カラッポにしてすべてゼロ以下にして
しまうと、静かにその人の姿が見えて
くる。映ってくる。映ってきて、いい所が
見えてきて感じられて来た時に、あーと思う。
 愛しいとしが今度入ってきて、そうして、
あ、この部分はなあーと自分が優しく
なれていく訳ですね。させて貰える訳ですね。

 ですから、愛深い人間になる為には何を
すればいいかといったら、この有りの
ままの自分を見つめて見極めて、辛いなあ
悲しいなあと想いながらお祈りを
重ねて行って、そうしてその光と一緒に
なって行く。あるいは、もうこれ以上
自分の苦しい事はないという位文句を言って
いって言い抜いてゆくと、その余分なものが
出ますから、出たところで今度は、
守護霊さん守護神さん、あるいは私が
抱きとめて、愛の光を入れていく訳です。

 そうしますと、愛し、と、いとしとそして
容れるということが三位一体になって、
そうして優しいという所へ昇華していく
訳です。そうなりますと我々が求めて
おります、目標としております、世界平和
というものが完成していく訳です。
 その為のやさしさであり、強さであり、
見た目ではない心の奥深さというもの、
本心の本体の極みのない広大な世界
というものを、我々は目の当たりにしていく。
 そういう時代になって行く訳であります。
            昭和63年5月5日
               五井 昌久
posted by wadatsumihirohime at 09:38| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする