2017年08月31日

神が君を 呼んでいらっしゃる

君よ
神の
よぶ声が
きこえないか

大きな声ではない
ささやくような
声だ
しかし
確かに
君を
呼んでいらっしゃる
声が
きこえないか

神が
君のいのちを
必要と
していらっしゃるのだ

起て
さあ
ゆこう
神の
み前に
この
いのちを
ささげるために
      昭和62年2月2日
posted by wadatsumihirohime at 05:49| 祈り | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

こころに たずねよ

あなたの
こころに
たずねよ
何が
正しくて
何が
よこしまな
ことであるかを

迷い出でなば
ただちに
こころに
おりよ
こころに
おりてゆくほどに
こころは
光の世界である
ことが
わかるだろう

しずかに
しずかに
神の前に
ひたすらなる
祈りを
ささげている
あなた自身に
出合うだろう

そのからだは
光にみちて
一点の
迷いも
惑いもなく
ただ
神への感謝と
とこしえの
いのちの流れへの
深い
祈りが
あるばかり

ちっぽけな
おもいは
光の
あなたの
前に
うちくだかれて
しまう

あなたよ
こころに
おりた
あなたよ
正しきものも
よこしまなるものも
そうした
一切の
とらわれや
人の
おもいを
超えた
愛とゆるし
こそが
大調和という
神のみこころの
源では
なかったか

こだわり
とらわるる
肉の身の
おもいを
捨てよ
そして
世界平和の祈りを
行じてゆこう

あなたは
今日から
私とともに
光かがやく
いのちと
なるのだ
    昭和62年2月2日
posted by wadatsumihirohime at 06:58| 祈り | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

傷つき 傷つけられることをおそれないで

人が
人を
愛すると
いうことは
心と心
本心

本心

あわせて
自分のなかに
ある
また
相手の
なかにある
さわりのない
ひかりそのもの
いのちを
愛する
ということなのです

神は
人間を
愛するように
つくられている
のです

愛し
愛される
よろこびを
知るもの
それが
人間なのです

心は
本心は
いのちの
本源から
放射される
かがやくばかりの
神の
人間に対する
愛念を
送って
人の愛のおもい
愛のはたらきを
つよめ
たすけるので
あります
愛することが
仕事
なのです

辛いことも
ある
怒りに
ふるえる
ことも
ある
けれど
それらは
みな
愛する
こころ
愛される
よろこびが
つよめられるための
過ぎゆき
消えてゆく姿
なのです

本当に
自分を愛し
人を愛するには
人は
大いに
傷つき
傷つけられ
血をながさなければ
なりません
そうすることに
よって
真実に
よわさを
持った
人のこころを
身に沁みさせる
ことができるからで
あります

誰も
傷つきたいと
おもう
人は
一人も
いないけれど
傷つくことに
よって
傷つくことの
かなしみを
傷つけられる
ことの
寂しみを
深く知ることが
できるのであります
人に
また
人の心というものに
やさしくなる
ことができるのであります

傷つき
傷つけられる
ことを
おそれて
ただ
自分を
高みにおき
神を
よびつづける
というのは
それは
おかしな話です
魂の
進化に対する
うえかわきに
目を閉じて
ゆくことになるのです

こころを
深くすること
どこまでも
どこまでも
朗らかな
本心の光を
たずね求める
旅を
消えてゆく姿と
世界平和の祈り
を行じつつ
おこなう

日々の
一瞬一瞬の
自らの
気持ちの
移りかわりにも
やさしく
目をそそぎながら
いかなる
苦をも
いかなる
いたみをも
ただ
神様
ありがとうございます
という
感謝の
祈りにかえて
自分を
人を
自らの魂を
したいよる
人々の
魂を
ともに
神の愛に
ゆだねて
祈りのうちに
歩いて
ゆくこと

愛し
愛されるよろこびを
そこから
感じ切り
また観じ切って
日々を
生きてゆくこと
これこそが
祈りの光に
てらされた
私どもの
また
すべての
人々の
真性であり
本来の
姿なのであります

ともに
神の愛と
神への愛という
二つながらの
光を
受けつつ
すすんで
参りましょう
     昭和62年2月2日
posted by wadatsumihirohime at 07:48| 祈り | 更新情報をチェックする