2016年12月30日

守護霊について

私共の祈りの中にある最後に、守護霊さん
守護神さんという呼びかけがありますが、
その守護霊さんというのはどういうものか。
 よく個人相談の時にでも、あるいは講話が
終わった後にでも、「先生、私の後に誰が
ついているんでしょう?」と、こういう
ものは、皆聞きたいものなんですね、それで、
「あなた、おじさんがついていますよ」とか、
「おじいさんがついていますよ」とか。
 まあ見える限り、知らせていい限り、私は
知らせて安心してもらうということを
言ってるわけですが。

 守護霊さんというのは、これは先祖さんの
たとえば悟った霊がつくとか何とか今まで
ずっと説明をして来ましたけれども、もっと
言うと、そのつながりというものを、人間の
つながりというものは、例えば、この
世の中の肉体の生命の何十年というそんな
つながりの浅さではなくて、守護霊さんと
我々のつながりというのは、実はこの
世の中に出てくる以前からずっとある訳
ですね、霊界の段階からある。

 だから、生まれる前から知っている。
 生まれる前からというと、こういう世界に
馴染みのない人は、じゃあ記憶のない前から
かということになりますけれども。

 記憶というのは、これはずっと前生、
前々生とさかのぼって行って、つまり、
我々が肉体人間になって修行をずっと
重ねて行って、あらゆる天命そのもの光
そのものの光明体になるまでのその修行、
その途中途中で、例えばこの世の中に
50回生まれてくる人、100回生まれて
くる人、いろいろある訳ですが、その中での
記憶を全部いちいち持ってたら、人間という
ものは苦しくってですね、この世の中に
生きていられないから、それを消してゆく訳
ですね。だけども、その中で、それぞれの
かかわりの中で、この人がついた方が
いいなあ、この人をこの一生を貫かせる
為には、こういう人が守護霊さんとして
ついた方がいいなというのを、霊界の方で
決めて、そして、それが例えば、教師で
あるなら、子供たちと一緒に遊べるような
無邪気な、そうして霊性も高い、そういう
人の守護霊さんというものを、そうして、
関わりのある人を連れてきてそこに付かせる
訳ですね。だから、よく私が申しますが、
天才の仕事というものは、あるいは天才
でなくても秀才でも鈍才でも構いません
けれども、我々の仕事というものは、
守護霊さんに助けられてやっているんだと。

 例えば、音楽家の仕事であっても、その
音楽家ならずっと霊視してゆけば、バッハが
ついているとかベートーヴェンがついている
とかシューベルトがついてるとかね。
 あるいは滝廉太郎がついているとかね。
 そういう何か、その道ですごい仕事をした
人の守護霊さんがついているという場合も
ありますし。
 その守護霊さんというのは何かというと、
愛念なんですね。あなたならあなたの一生、
その人ならその人の一生というものをよく
知り抜いていて、そしてしかも、愛し抜いて
いて、そうして守り抜くと。

 それは、この世の中へあなた方が出てくる
前から、そして、今度死んで肉体が
なくなって向こうの世界へ移って、向こうの
霊界修行でも、その守護霊さんというのは
ずっとあなた達を守ってついてゆく。
 守護霊さんというのは休息がないわけです。
 肉体人間というものは、ずっと眠らずに
何日か起きてらっしゃいと言えば、一週間も
すれば、人間は死んじゃいますね。何故か
というと、霊要素というものを眠ってる間に
こっちで(こっちでと言うのは霊界でですよ)、
霊界で補給しないことには、人間というのは
生きてゆけないから、そこで眠らせて生命を
つないでゆく訳ですけれども、守護霊さん
というのは、そういう休息がないから、その
人の一挙手一投足どころか、一秒一秒
一瞬一瞬のその人の想いに付き合って、
その想いの中に、すこしでもきついものね、
つまり、やりきれないもの悲しいもの─
色んな想いが出てきた時に、それを
どんな風にして消すか、軽くするか。つまり、
この世の中をただ単に肉体だけではなくて、
霊の生命もですよ、全部含めて、どう
やったら生きやすくするかという事を
四六時中考えてる。

 それはやっぱり、守護霊さんというものが
神様の愛というものを知ってて、そうして
その愛念をよく知り抜いて、あるいは体で
うつした人だから、それが出来るんですね。
 これはやっぱり、そういうことが
わからない人が守護霊さんにつくという
ことはないんです。そうでなかったら、
守護霊さんの方が潰れちゃいます。人間
というのは、業の世界の中でこうやって
息して生きてる訳ですから、この業の世界
というのは、この個人の業だけじゃなくて、
地球全体の業の現われの中の一つを人間が
受け持っちゃってる様なことに
なってますから、その業を、魂の訓練
というか、そういう神様の本然の愛という
ものを知らないものが、もし守護霊さん
としてついたら、そっちの方が、守護霊さん
の方が潰れ死んじゃいます。そうじゃ
なくって、その業にも負けない、あるいは
その業を光に変えてゆく、光明化してゆく。
 それだけの力と覚悟と色んなものが
備わってる人が守護霊さんになる訳です。

 でも、守護霊さんになるといっても、
守護霊さんというのは、おおむね肉体人間の
経験のある人がなることが多いですから。
 そうしますと、むこうへ行って、霊界に
行って、霊界には様々な修行場があります。
 その修行場で又修行して、そうして自分を
透き通らせて、想いを愛深くして、それだけ
じゃなくって、誰々の守護霊につくという
場合は、その人の色々な想いを受けとっても、
その人と一緒になって悲しむ、その人と
一緒になって悩む、それだけの大きさ
というか深さというか、そういうものが
なければやはり守護霊さんというものは
務(つと)まらない。

 なぜかというと、人間というものの癖を
本当に知り抜いていないと、あるいは
その人というものを知り抜いていないと、
守護霊さんというものは、とても導けるもの
じゃない。あるいは、神様の愛というものを、
エネルギーというものを、光というものを、
この地上に送るというそんな大役は出来る
もんじゃない訳なんですね。だから、それ程
守護霊さんというものは、つまり魂の
大きな人。単に幽体が大きいという訳じゃ
なくて、愛の大きな人。その愛というものは、
神様から流れてくる愛。それを受けとる力の
大きい人。そして、その愛を受けとって、
その愛を注ぐことが深い人。

 人って言ってますのはね、人って言わない
ことには、これは皆さんに伝わりにくいから
人って言うわけでして。大きく言いますと、
流れですね。ひびきですね。

 我々の生命というものは、何によって
生かされてゆくかと言うと、それは神様の
愛によって生かされてゆく訳ですけれども、
それを手助けしてるのが守護霊さんで、
守護霊さんというのは、守護神さんと一緒に
なって、その神様の愛の根元、愛の根元
なんていうと又わかりにくいかもわからない
けれども、その愛の元であるひびきに我々を
のせてく訳です。
 あるいは、愛という流れの中にのせてって
下さる訳ですね。で、私共の会では、その
ひびきとか、神様のひびきとか、神様の流れ、
愛の流れというものに、のりやすいって
いいますかしらね、一体化する為に何が一番
いいか。ずっと私が修行させられて、そこで
受けとらせていただいたのが、世界人類が
平和でありますように、日本が平和で
ありますようにという、あの祈りなんですね。
 そして最後に、“守護霊さん守護神さん
ありがとうございます“と言った時に、
守護霊さん守護神さんというのは、ひょっと
こう、私達の本心をあるいは霊体をですね、
さあっとそのひびきの中へつれてって
下さる。のせて下さる。
 そうして、その祈り言を肉体の私が、
肉体の我が唱えると同時に、天界の神界の
私も同時に唱えると、神我一体になってると、
その時には、もう肉体の自分だけじゃ
なくって、天地貫いて私というものがあって、
その私というものは、愛のひびきの中で
神様と一つになってるんだということ
なんです。そして、そのひびきを手伝う
というか、そのひびきの流れにのせて、
その光明をパーッと振りまく、一番親しく、
最後の最後までお手伝いするのが
守護霊さんですね。

 だから、守護霊の愛というものは、これは
なまなかの愛じゃない。これはもう本当に
生命がけの、生命がけのと言ったって
守護霊は死にませんけれどね。死なない
けれども、その位の覚悟の愛なんですね。
 しかも、肉体を経て来ているから、人間が
どれ程悩んで祈って、もうその想いが
かなえられない、願いがかなえられない、
自分はどうやって生きてったらいいのか、
家族をどうやってみてったら
いいのか・・・とかね。あるいは、商売がうまく
いかないとかね。そういう現実のことだけじゃ
なしに、精神的な面でも、自分はどうしたら
いいのかとかね。色々つき当たって悩んで、
ぶち当たって、もうどうしようかという
行き詰まりのどん詰まりのどん底の想いを
知ってる訳ですよね。知っているから、
よけいにその光をどうやったらこの人に
出しやすいか。ひびかせやすいか。その人の
ことを知り抜いているからこそ、守護霊
というものは守ることができる。

 そういう守り手に我々は守られている。
 そうして、光のエレベーターにのって
祈ってる。その幸せを得ている訳ですね。

 守護霊さんのことを言ってこのまま終わって
しまうと、じゃあ守護神さんはどうなんだ
ということに想いがいきますでしょ。
 ですから、守護神さんのことも少し
言いますと、守護神さんというのはですね。
 守護霊さんというのは人間の経験が
あるから、人間の、我々肉体人間の色んな
想いを手にとるようにというか、それこそ
わかる訳ね。一心同体になってるからね。
 その一心同体になりすぎて、疲れて、
そうして、疲れた守護霊さんのそのまた
悩み苦しみね、それを又とってくれる
というか、さらに高次元の愛と光を注ぐと
いうかしらね。そういうものですよね。
 そうして、守護霊さんを元気にさせて、
又、人間の為に一人一人の為に働かせる。

 守護霊も守護神もいよいよ困った時には
どうするかというと、私のところに来て、
私が柏手とか何とかでもって、ここで浄めて、
ついでに、ついでにっちゃあ悪いけども、
肉体の人間の方まで、皆さんの方まで柏手で
浄めてる。そういう今、日常なんですね。

 神界という所は、想いが浄まってる
とか何とか皆イメージで言うけれども、
やっぱり色々な高い魂の人達がより集まって
何を相談しているかといったら、人間の進化
なんですね。人間の魂がどれ程今
高まってるか。どんな所で今
止まっちゃってるか。悩んでるか。それを
見ているんです。人類世界というものを
見ているんですね。だから、どうすれば
いいか。それをどんどん下に降ろしてゆく。
 下に降ろしてゆくというのは、肉体人間の
想いの中に降ろしてゆく、その降ろして
いって降ろしていって降ろしていった先って
いうのは、肉体人間の子供から大人、老人に
至るまで皆が唱えられる祈りといったら、
世界平和の祈りだから、これを昇って
ゆく時に何の苦もなくといったら
あれだけれども、多少の日常の苦しみは
あっても、魂そのものは非常に昇ってゆける。
 高いところまでくることができる。
 スイッチを切りかえて、霊体そのものが、
細胞一つ一つまで喜びが満ちあふれることが
できる。そういう祈りでもって救済してゆく
以外にない。そういう時代に今立ち至って
いる訳です。

 だから神界というのはね、非常に全部が
調和している世界であると同時に、まだ
調和していない世界のことを見て、検討
してですね、そうして、そこに誰を
もってったらいいか。平和が完全に完成
する為には何が足りないか、誰が行けば
いいか、誰をどうすればいいかという
ことを常に考えている。そういう世界な訳
です。そこで、守護霊さんも守護神さんも、
神界の高次元なそういうものを想いを
うけてですね、そうして、愛情というものね、
愛というものと平和というものが完成に
向かってゆく為に、一歩でも二歩でもゆく
為に、皆休みなく働いている訳ですね。

 だけども、そういうことを抜きにしても
というか、そういうことは忘れてもらっても
いいけれども、取り敢えずとも角も、
守護霊さんというものは、本当に人間よりも
人間らしくといったらあれだけれども、皆の
生命が生き生きする為にどうすればいいか
という事を休まずに働いている。いよいよ
駄目になったら、私の所にやってくる
けれども。しかし、人間を愛する、心配する、
その為に悩む。その想いというものは本当に
深い。その祈りも深い。そういうことを心に
留めて、守護霊さん守護神さんありがとう
ございます。というあの言葉を出して
下さると、倍にも二倍にも光が注がれてゆく
訳です。その時に、自分の中の本体が輝いて
くるわけです。
       昭和63年5月5日
          五井昌久
posted by wadatsumihirohime at 09:32| 祈り | 更新情報をチェックする