2017年01月29日

(一)富士聖地野外特別統一会で 四次元の光を受けた意義について(6)

       (前日からの続き)
 私がいつも申しますように、我々は神様から
分かれて来た存在であるからね。神様から
枝分かれして来た存在でしょ。ですから、神様
というのは、ひとつも我(が)はない、大愛と
調和、これだけに満ちてる存在なんですね。
 だから、何の不調和もないわけですよ。
 ところが、この地上の中にいると、不調和な
ことだらけの中で生きてゆかなければならない。
 自分が楽しくても、相手はそうでない場合も
あるしね。これが正義だと思っても、相手に
とっては不正義なこともあるしね。
 政治家なんか見てごらんなさい。いつも戦争
してるでしょう。お前が正しい、あいつは悪い
とね。その人達は自分の世界を確立して、
自己を信じるところへもっていこうと
するけれど、やはり、祈りというものを基盤
にして自己を確立することがないとね、たとえ
億の財産を持っても、何百人の友達がいても、
これは駄目なんですね。

 そこで、自分達は何を土台にするのか
ということになると、やっぱり祈りという
ものが基盤にあって、はじめて人間というのは
落ち着く存在なんですね。それが今、世界平和
の祈りを通して、人間の本来心に結びつける
のです。この肉体をもったまま皆んなが
永遠なる世界の住者だということを知らしめる
祈りというのは、この世界平和の祈りが一番
力があるわけですね。力と言うと誤解するかも
しれませんが、心に深くひびき感じさせる祈り
なんですね。

 そういうことを考えてゆきますと、どんな
立場の人であろうといいわけです。
           (翌日に続く)
posted by wadatsumihirohime at 09:55| 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする