2017年06月07日

宇宙神と同格ということについて(前半)

 今まで何度か説いてきましたように、人間の
生命の流れというものは、本来、宇宙神の
ずっと深いところまで繋がっているんだという
ところまでお話ししたかと思います。それで
この間、直線的に昌美が宇宙神と皆さんとは
同格であると、そういうことを言ったかと
思います。それで今聞いていると、諸説紛々
だというので、じゃあちょっとこちらからの
メッセージを言ってみようかと思うん
ですけれど。

 同格というと、同格という言葉に又
把われるのが人間なんですね。じゃあ同格
というと宇宙神とまるで同じということに
なると、じゃあ宇宙神というのは何かというと、
すべてのすべてなんですね。生命の元の元。
 人間の生命だけじゃなくって、この宇宙
全体を造った、もう造ったも何も造る
前からいた。
 それと同じかということになると
仰天しちゃう訳なんです。

 何故かというと、人間というのは、この肉体
という不自由なものを持ってまして、一日の
内でも、何度も何度も言うように、気分が変わる
喜怒哀楽が出てくる。そういうものと宇宙神が
同じだと言われてしまうと、とんでもないという
気持ちがまず出て来る。
 それでなくったって我々は凡夫なんだから、
いただき直しの生命なんだからといって
ずっと説いて来て、そして皆さんも祈っている。
 そういう中で、そういう風に言われてしまうと
わあ─と思う。思うけれども、昌美が
言ったのはね、その生命の現われとしての
宇宙神と一緒なんだという風に捉えてしまうと、
つまり、全体の存在と同格だという風に捉えて
しまうと、皆困るんですね。そうじゃない。
 じゃあ昌美は嘘を言ったのか、そうじゃあ
ないですね。

 同格だというのは、何において同格か
というと、皆さんの奥の奥の悟ってる本体、
神体ね、肉体じゃないですよ。神体、本来心
というものがね、何によってできているか
というと、宇宙神からの光明と(光と)ですね、
愛と、そういうものによって生きてる
訳なんです。
 宇宙神の愛というのは、これはもう極まりの
ない愛なんですね。すべてのものを生かそう、
すべてのものをより良くもって行こう、敵も
無いんです。味方も無いんです。あるがまま
なんですね。

 そういうものが、我々のこの肉体、我の強い
肉体を通して光になって、そして、我々は
肉体の生命を養ってもらってる訳なんですね。
 そして、自分の内の奥の奥にもそれと同じ
ものがある。そういうことを考えますとね、
つまり、我々というのは意識するしないに
関わらず、愛したいと思う、仲良くやりたい
と思う、平和にやりたいと思う、喧嘩をしたく
ないと思う、砕いて言えばですね、そういう
気持ちね。
 つまり、世界人類が平和でありますように
という気持ち。何処にも戦争がなくって無事に
平穏に、皆がそれぞれに、それぞれの家庭で
生きていけたらと思う。その祈りの気持ち。

 それは何かというと、ずっとつき詰めて
いくと、宇宙神があるがままの生命を認めて
そのままにありのままに生かしていく。
 それが自分の望みであり願いであり祈り
であるんだと。その本来心の祈りを受けて、
世界人類が平和でありますようにという
あの文句が出来た訳ですから。

 ということは、自分の中にも、ものすごく
素朴だけれども、そういう風に祈る、自分の
家族のこと自分のことまわりのこと、そこから
ずっといって世界人類のこと、本当に平和で
あればいいなと祈る。そういう何ともしれない
思いが湧き起こる。湧き起こる時には、人間
というのは、その時には我には満たされて
ないんですね。やっぱりその時には光に
なってるわけ。その光というのは、祈る時に
もちろん強められるし深められるし、こっち
から見ていると光明そのものになるけれども、
祈る時だけが光明かというとそうじゃない。

 普段は、自分が光明体であるということを
皆忘れて生きているんです。何故かというと、
この世の中というのは、忙しいんですね。
 仕事しなきゃなんない、連絡しなきゃ
なんない、子供の面倒はみなきゃなんない、
夫婦の中で解決しなきゃいけない問題がある、
親子の中で解決しなきゃいけない問題がある、
家庭はある・・・。
 そのことで自分が光明身だとか、そういう
体を持ってるとかということは、なかなか
肉体のこの意識からはのぼって来ない
訳なんです。

 で、心を鎮めて、皆で統一して
さあ祈りましょうという時には、それは
スーッと出て来やすい訳ね。それは、何も
祈ったと同時に自分自身が変わるんじゃ
ないんです。自分自身というものは本人が意識
するしない、あなた自身が意識するしないに
関わらず、光なんです。何故かというと、
神様から分かれて来ている生命だから、
分生命(わけいのち)だから光なんです。
 それはどんなにその人が何を表面的に
どうしようと、奥にその光明があって、その
光明が出たがってる。
 そして、その人本人のその余分なものを
取っ払っていったら、その人自身も光になる。
 で、その光は愛とゆるしと平和である。と
いうことにおいて皆平等なんです。同じ
なんです。

 その愛とゆるしと平等の元の元、平和の
元、それが宇宙神なんですね。だから、
あなた方は宇宙神と同格であるというのは、
そういうもともとあなた方の中の生命を
生かしめている思いだけじゃなくて、肉体も
全部含めてね、我々からすると煩わしい
ものも全部含めて、この世の中に生かしめ
られて働かしめられてるその元の元が
愛とゆるしと平和だから、その大元を
辿って行けば、何度も言うけれども、つまり
宇宙神だから、それは本人が意識するしない
じゃないんですね。

 昌美があの時あれを言ったというのは、
もともと宇宙神と同格であるというのは、
そういう分かれてきた生命の末、元と末
ですから、で、その末というのは萎びるん
じゃなくて、これからもずっと続いていく
末だから、ずっと連らなってるものだから、
もうそろそろあなた方が光明なんですよ
ということを、あそこであの子は
言いたかった筈なんですね。そうして、
それぞれに分けられている光明身という
ものをずっと繋いでいって、祈りに
していって、そうして、世界人類が─
とやっていけばね、そうしたらつまり、
それは宇宙神のみ心になる訳。宇宙神の
み心と一つになる訳です。そこに
入っちゃう訳ね。
        (後半へ続く)

posted by wadatsumihirohime at 08:18| 祈り | 更新情報をチェックする