2017年07月13日

安心立命

私は
ずっと
神の愛と
人間の
本当のすがたについて
語ってきました
それは
人間を
光あるいのちのながれへと
かえし
とけ込ませる
ためであります

人間は
神からわかれてきた
生命であり
霊なのです
ということは
この肉体のなかに
そのまま神が
宿っているということに
なるのであります

もともと
神が
神の光が
この肉体を
つくったのであります

そう致しますと
この世に
悪いものは
あらわれてくる筈がない
というのが
本当のところなのです

だのに
この世に
争いがあり
病いがあるのは
もともと
霊であり
神の光であった
本来のすがたを
私どもが忘れ果てて
この肉体にまつわる想念を
自分だと思い
この肉体を
自分自身だと
思い込んでしまった
ところから
おこったことなのです

自分のなかに
神さまが
いるのに
自分のなかに
神さまが
いるなどとは
思えなくなってしまった
そして
自分というものを
人間というものを
ちいさくちいさく
考えてしまった
とこういうわけなんです

この肉体が自分だと
おもえば
当然
肉体を守ろうという
気持ちが出てきます
いのちは
大事にしなければなりませんけれども
いのちというものは
本来
いきとおしのものであって
死は
この地上での区切りにすぎない
わけであります

ところが
この肉体がほろびてしまえば
自分自身はなくなるんだ
というおもいが
長い間の
習慣として
ずっと
支配しておりますから
何が何でも
死はこわいもの
避けねばならぬものとして
私どものあいだに
考えられてきたのであります

そうじゃなくて
我々のいのちは
永遠のものなんだ
私たちは
神の光のわかれとして
ここにいるんだ
ということが
わかってまいりますと
人間というものは
本当に安心立命するので
あります
それを人は
何によってわかり
悟ることができるか
といえば
それは
祈りだ
と申し上げねばなりません

祈りというものは
なかんずく
世界平和の祈りというものは
我々の
いのちをひらいてゆくのであります
本心をひらいてゆくのであります
なぜそういうことができるのか
わかるか
といえば
世界平和の祈りの一言一言のなかに
神の大愛がながれているからで
あります

ですから
私どもが
世界平和の祈りをとなえて
まいりますと
自然と
その神の愛にひたって
そして
自分の本来のすがた
というものに
いつしらず
気づかせられてゆくのであります

ちょうど
母親に抱かれた
赤ん坊のように
ああ私のかえるところは
永遠の神のみこころなんだ
ということがわかってくるようになる
これは理屈じゃないんです
こころで
そう感じるんです
それは
世界平和の祈りのなかに
幾多の霊人
神霊たちが
守護霊守護神とともに
働いて働いて
そうして
私どもの
いのちが
本心が
ひらかれてゆくのであります

そのとき
私どもは
自分たちが
限定された肉体のなかに
生きるいのちではなく
無限の神の愛のなかに
生きるいのちであることを
わからせていただくのであります
        平成2年3月7日、8日 記

posted by wadatsumihirohime at 07:16| 祈り | 更新情報をチェックする