2018年06月01日

五井先生と呼んで下さい(1)

 私は落語家じゃないかなあと言われた時が
随分生きている時にあるんですね。それは、
話の中に冗談とかね軽口とか。やっぱり法話
というものはね、わかりやすくやさしい
言葉で言って、5つ6つの子供にも分かる
ような話し言葉でないと、本当に深い言葉
というものは入っていかない。深い真理
というものも入っていかない。
で、こうしなきゃならん、こうした方がいい
ということは分かっていてもね、人間という
ものはそんなに出来るもんじゃないんです。
簡単に出来るのなら、五井先生は
いらないの。釈迦やキリスト、その人たち
でも救いきれない、今のこの世の中の複雑な
色んな要素があるでしょ。
 釈迦やキリストだけでもとうてい駄目と
いうところにもってきて、深淵な言葉
だけじゃね駄目なんです。

 だから、本質論も必要だけれども、本質論
と同時に、具体的にやっぱり、寂しい
ですねえ悲しいですねえ、大変ですねえ、
本当に大変でしょうという、そういう
いたわりの気持ちがないと駄目なんですよね。
それがあって初めて、人を導くことも
可愛がることも愛することも出来る。
           (翌日に続く)


posted by wadatsumihirohime at 11:06| 祈り | 更新情報をチェックする