2018年06月02日

五井先生と呼んで下さい(2)

      (前日からの続き)
 会館でやってた最初の頃に、皆熱心
でしたよ。皆くい入るように話を聞いて
くれてね、最初の白光の人たちは。今の
人たちが駄目だというんじゃないですよ。
本当にくい入るように聞いてくれたけれども、
あんまり深い話をし過ぎるとくたびれ
ちゃってね、みんな。とっても私は
出来ないわとかね、思っちゃうから。だから、
ある時は魚屋のおっさんになったりさ、
ある時は八百屋になったり、それから、
本当に落語家じゃないかという位軽口
とばして、そうして、ふーっと気がついたら
神様のことを考えていたという風に
もっていく。これ方便なんですね。

 で、その時々によって色んな話し方をする。
 さっきの私と今の私と違うのかといったら、
違わないんですよ。全然違わない。だけども、
とに角機をみてね、人をみてね。人をみて
法を説けというでしょ。あれと一緒
なんですよ。その時々その場相手によって
さっきのようなしゃっちょこばったああいう
講演口調の、ねばならぬ存じます式が通じる
時もあるんです。
 そうじゃなくて、こりゃあもうそんなこと
言ったら逃げ出しちゃうなあという場合は、
こういう口調もあるんですよね。どれも
五井昌久。どれも神様。神様といったって、
私が神様じゃないですよ。そうじゃなくって、
神様が色んな働きをこうやってなさる
ということの証をここでやっているような
もんだね。そうじゃなきゃ、こんな講演会
なんかやりませんよ。そんな無駄なことを
神様はやらないと思いませんか。本当にそう
ですよ。やっぱり誰かに聞いて欲しいという
気持ちが皆あるでしょ、皆苦しいから。
聞いて欲しいといっても、吸いとり紙の
ようにね、自分というものをさしはさま
ないで、深くうなずきながらね、ああそれは
大変ですねえって聞くというのはこれは
大変なことよ。実際に。絶対に自分が
出るもの。そんなことはあなた言うけれども、
私の経験によればということになるよね。
 なるけれども、そこは本当に難しい。
          (翌日に続く)


posted by wadatsumihirohime at 09:44| 祈り | 更新情報をチェックする