2018年06月03日

五井先生と呼んで下さい(3)

          (前日からの続き)
 人に対する時というのはね、私の経験に
よればと、それを出しちゃうと相手が
悲しむね。六十七十八十生きて来た人がね、
私はこう生きて来たと言いたくなるのもよく
分かるけれども、悩んで苦しんで切羽
詰まって来る人というのは、それどころじゃ
ないんですよ。その人の経験談を聞きに来た
訳じゃなくって、とに角ただ単純に慰めて
欲しい。そこから悲しみをとって欲しい。軽く
して欲しいんです、まず。医者のね、頭痛が
するから頓服下さいというのと同じなんです。
 頓服あげといてね、熱下げて頭痛とって、
頭痛とった後にね、何で頭痛くなったか
というの一緒に考えましょうよという
ゆとりを、そこから導き出すんですよ。頭痛
とらないでね、説教したってしょうがないの。
 だから、ある人は頭痛で来るかも
わからない、ある人はおなかが痛いといって
とんで来るかもわからない。先生、姑が!
という人も沢山いたしね。嫁さんとうまく
いきませんという人もいたしね。どっちにも
いい顔しなさいというの。それじゃあ
どっちもいい加減にしなさいというんじゃ
ないですよ。そうじゃなくって、どっちもに
対していたわりがないと、人間関係なんて
いうものは本当にうまくやってゆけない
ということですよね。

 だから、そこで気をつけなきゃいけない
のが、自己愛というものですね。自分を
可愛がりすぎるあまりに、相手が見えない
ということになっちゃうとこれは
あぶないんです。自分自分自分が辛い辛い
辛いと想うとね、その辛い辛い辛いが相手を
変に傷つけたりね。あるいは、こう気持ちを
にぶくさせてることがあるんですよ。自分が
一番辛いと想うからね。だけども、自分も
辛いけれども本当は相手も辛い。

 ところが、人間というのは不便というか
何というかね、そんな吸いとり紙みたいな
人は、いないでしょ。とってもじゃないけど
ありませんよ。だから私が出来たという訳
じゃなくって、私はもうずっと十字架に
かかったようなもんですからね、前も言った
ように。神様に自分の生命というものを
差し上げちゃって、投げ出しちゃって、
それで、どうなとして下さいといったら、
まあやくざみたいだけれどもねえ、そこで
自分の生命の本体というものを見たから。
 もう私安心しちゃいましたからね。安心
した人間は今度、皆さんの中にその大安心
というものを分けないとね、いけません
でしょ。そこで、私は十字架にかかりっ放し
になって、お浄めしたり話を聞いたりする訳
だけれども、そうやって皆さんと話をしたり、
今こっちから見たり聞いたり、祈りを
届いたりするのを見ていると、あるいは
感じてるとね、本当に何とかして下さい、
どうにかして下さい、本当に辛い祈りが多い。

 だけども、その辛さをね、とかして、
そうして本当は、あなたの中に光が
あるんですよということを、こっちはね、
皆さんの守護霊さん守護神さんと一緒に
なって出してゆく訳ですからね、その流れを。
 その役目を未来永劫五井先生は引き受けた
訳だから、だから、皆さんは安心してね、
五井先生と呼んで下すっていいんですよ。
 五井先生にこんなつまんないことを
聞かせるなんて、とてもじゃないけど私の
気持ちがゆるさないとかね。どっかで
かっこうつけたりとか、ありますね。
 恥ずかしがったりとかね。だけども、
そんなこと言ってる内にストレスが
溜まってくんのね。そういう遠慮は
いらないんです。どこでもいいんですよ、
五井先生と呼べば行くんですから
こっちはね。行ってどういう手当てが出来る
か分からないけれども、しかし、最善の
手当てをするわけよ。どういう手当てが
出来るか分からないというのは、皆さんの
心に思ってるような手当てが果たして
こっちが出来るかどうか、その時期かどうか、
よくは分かんないけれども、しかし、神様の
愛というものを携えてこっちが行くという
ことは確かなんです。そうして、皆さんの
悩みも苦しみも抱きとって浄めてるという
ことも確かなんです。だから、いつかその
悩みとか苦しみとか辛さというものは消えて
ゆくんだ、五井先生に任せてれば消えて
ゆくんだ、五井先生を通して神様の愛という
ものが通ってきて、その大愛によって我々の
諸々のものというのは消えてゆくんだという
ことね。そこさえしっかり見ていて
もらえば、こっちは本当に守り
易いんですよね。やりやすいんです。
        (翌日に続く)


posted by wadatsumihirohime at 10:15| 祈り | 更新情報をチェックする