2018年06月10日

神の愛念について(3)

       (前日からの続き)
 いつも申しますように、信仰というのは、
例えば、キリスト教なら礼拝堂へ行き、
あるいはお寺に行って、神様とか仏様に
祈って、その祈る姿だけが信仰じゃない。
 芸術家は芸術家で、音楽家は音楽家で、
大工さんは大工さんで、一所懸命に何か
一つのことに打ち込んで、無になって
一つのことを成し遂げる。その中に神様が
いらっしゃる。その中で神様が働くんです。
 自分をなくした時に神様というものが
現われてくる。愛念というものは現われて
くる。その愛念というものが現出して、
そうして、本当に今度は神様の愛に
洗われる。我々の生命というものは、
毎日毎日毎瞬毎瞬新しくなって
ゆくんですね。そういうことが本当は
生きるということなんです。

 そんなこと言ってもね、五井先生、
やっぱり毎日死んでゆく人がある、重病の
床にふしてる人がある、事故にあって
困ってる人がある、そういう悲しみという
のはどうなるんですかと、皆思う
でしょうねえ。確かにそれは
そうなんですよ。私だって、愛弟子を
何人も失くしたり、大けがをして入院
させたり、ありますよ、この世の中に
いた時にはね。だけども、心配してる
けれども心配しないんだよ。高橋君に
答えたことがあるけれども、分かるかね、
やっぱり心配してるけれども心配
しないんです。心配してるというのは、
この肉体の人間の気持ちというものを
味わってしまうと、確かに心配なんです。
 オロオロしますよ。どうなるだろう。
 手術が必要ならば早く手術が成功してと
思います。それは人間の情というもの
なんです。自然なんです。そこでオロオロ
したり、弱くなったり、神様が
いるんだろうかと思ったり、そういう
ことは私は否定しませんよ。私はそういう
気持ちを通り抜けてきてるんだから。
 だけども、そこを通り抜けたところで、
神様というものは、もう一つ深い
ところでね、人間を抱きとって、そうして、
その人の天命が真っすぐに明るく神様に
向かって貫いて行けるように、守護霊とか
守護神が道を備えてね、そして、
あなた達がこの世に生きていく糧も、
肉体を養ってゆくべき色々なものも、
悲しみも辛さもいつの間にか癒して
いくように、道をつけてゆく訳ですね。
 そこへの信仰というものが、我々に
とって一番大事になっていく訳です。
          (翌日に続く)

posted by wadatsumihirohime at 10:39| 祈り | 更新情報をチェックする