2018年06月12日

神の愛念について(5)

         (前日からの続き)
 何度も言うけれども、やっぱり毎日の
こと、煩いとか何だとかやって過ごして
ゆくと、とてもそんなこと思えない
でしょ。だから、その思えないなあ、
とてもそうじゃあないなあというのを、
もう死ぬまでね、何百回何千回思ったって
構わない。そうは思えない、そこまでは
私はいかない、そこまでは俺はそんな
とてもじゃないけど、五井先生が言う
ようなところまでいかないと思って構わ
ないから、とに角、祈りの中へ入っちゃい
なさいよ。入っちゃったら後は、
守護霊さん守護神さんや私だとか皆で、
洗ってきれいにして、そうして、又明日
やっていく力をこっちから与えて
あげるんだからね。ただ、私がするんだ
と思えば苦しくってしょうがないんです。
 それはさせていただくということ
なんです。そのさせていただくというのが
皆間違うのはね、いい事をさせていただく
のならば、こりゃあ皆気持ちいいですよ。
 ところがね、この世の中人間関係です
絶対にね。そうしますと、こっちがいくら
真心をこめて誠実を尽くしてやっても、
ある時とても辛いことがやってきたり、
悪口雑言がきたりね。あるいは、集会
なんかなすってますと、色んな中傷が
来たりね、つまんない我が出て
きますでしょ。

 しかし、そういうことを勉強して、
そうして、荷を負わせていただいて、で、
悪口を言われると、やっぱりそれも
ありがとうなんですよ。それだって、
私が受けさせていただきますなんです。
 だから、あの人はこんなこと言って、
こんな考え方をしてけしからんというのは、
やっぱり消えてゆく姿なんだね。
 けしからんという想いは辛いけれども、
それで過去世のあなた方の何か業という
ものが一つずつ消えるんですよ。
 だから、カッと腹が立った時に、あっと
思ってね、反省するだけじゃなくて、ああ
これで消えたんだなあ、ありがとう
ございますと思えたら、そこで光が
入るんですね。そこで、たとえあなた方が
思えなくても、その時にさあっと
守護霊さんや守護神さんや私の方から光が
行くんですよ。そこを信じるということが
任せるということなんです。
          (翌日に続く)
posted by wadatsumihirohime at 09:25| 祈り | 更新情報をチェックする