2018年06月13日

神の愛念について(6)

          (前日からの続き)
 我々は、肉体の我々を我々だと思って
いる以上は限界がありますよ。体力
にだって気力にだってね限界がある。肉体
というものはいつか脱がなきゃいけない。
 百年生きる人は少ない訳でしょ。その
百年の間たとえ生きたとしても、
生き生きと毎日喜び深くなんて、そんな
ことはなかなか出来にくい訳ですよ。
 そうじゃなくて、肉体におもきを
置くんじゃなくてね。私の生命を
つき動かしているものは神様なんだ、
神様の愛なんだ。私の深いところは神様が
みんなご存知なんだ。だから、今は私は
辛いけれども、何だか分からない程辛い
けれども、しかし、神様が全部抱きとって、
祈って、明るい方へ導いて下さるんだ
というそこだけ信じることが出来ればね、
そういうことを思って、あるいは念じて
祈ることが出来ればですね、そうしたら
もうこれは明るい方へ生命の大元の方へ、
皆さんの流れがいくに決まってるんです。

 そうなるように、世界平和の祈りを私が
大神様から受けたんですね。これでなきゃ
救われないんですよ。皆凡夫なんだから。
 皆神様と同じですといったって、この
できそこないの自分のどこが神様
なんだろうかと思ったら、もう苦しくって
辛くってやりきれない。つき詰めていくと、
一日だって生きちゃいられない位になるね。
 そうじゃないんです。そういう弱さとか
辛さとかいうものをもってて構わない。
 この間も言ったけど、そういうものが
人の話を聞く時の財産になるんですよ。
 だから、弱いから駄目なんだではなく、
駄目をね押し出す為に神様がいる訳
じゃない。そういう弱さをあなた方は
もってるけれど、もっともっと奥には光を
もってるんだと。光が自分たちの中にある、
それをうまく神様引き出して下さい。
 守護霊様守護神様引き出して下さい。
 五井先生お願いします。皆さんお願い
しますと言って預けることね。想いの
銀行に預けることですよ。私に預けること。
 それをやっていくことですよ。
 そうすると、我々の生命がもういつの
間にかきれいに掃除をされて大生命の中へ
完うされてゆくんです。私達の天命が完う
されますようにという祈りがあるでしょ、
あれはこれなんですよ。自分では掃除が
出来ないけれども、神様お願いしますと
いって任せてしまえば、いつの間にか軽く
して下さるんです。

 ただ人間は、毎日毎日二十四時間という
時間の単位で生きていますからね。
 今祈って、早くとって欲しい。早く早くと
想うとそれがやっぱり業になるの。その早く
早くという気持ちは分かるけれども、早く
早くと想えば想う程、こっちは掃除
しにくいんだな。しにくいから任せる。
 そして、任せたんだからあとは神様の方で
よくして下さると思って、こっちへ
呼びかけて下さればね、とに角
やりやすいんだ。ところが、それを人間
というのはなかなかやりにくいんですよ。
 だから、こっちから光を送って色々
やるんだけれどもね、とてもじゃないけど、
やっぱり呼びかける対象祈りの対象がなきゃ
駄目だ。そうして、その祈りの対象が、
ただ神様というんじゃなくて、世界人類が
平和でありますようにと言って、世界の
人々の、全宇宙人類の真心に向かって
呼びかけることによって、あなた方
一人一人もその真心の中に入っちゃうんです。
 そういう大きい深い祈りの中で浄められる
ことによって、神様の愛念が私達を
つき動かしているということをね、ここで
何ていうかなあ、胸が一杯になっちゃう
けれども、きっちりと覚えていただいて
やって行って欲しいなあと思いますねえ。
          (翌日に続く)

posted by wadatsumihirohime at 08:52| 祈り | 更新情報をチェックする