2018年07月01日

統一ということ(1)

 統一会や祈りの会とか、支部でも集会でも、
今ではWPPMもありますしね。世界中に
世界平和の祈りが広がっていって、だんだん
大がかりになっていってる。

 統一ということも、なかなか難しい。本質
を言えば非常に難しいんですね。けれども又、
あんまり難しく考えすぎてもね、統一という
ものの姿が見えなくなっていくということは
ありますね。統一ということは何かというと、
言葉は何でもいいんですが、神様に
寄りそって神様を呼んで、そうして、神様の
愛と一体になっていくということですね。

 言葉で言うと非常に難しいんだけれども。
 さっき申しましたように、私の柏手とか
口笛とか印だとかいうもので、流れという
ものを引き出すといいますかしらね。皆様が、
私に唱和して、世界人類が平和であります
ようにと祈って下さる。その瞬間から、
皆様の中の神の子としての、光の子供
としての、そういう光の流れというものが
出てまいりましてね。そして、私の柏手の
ひびきと一体となって、あるいは、
五井先生の祈りそのものと一体になって、
神様の方へずっと昇ってゆく。

 その流れというものは、普段日常の中で
ゴタゴタ動いている時には、なかなかねえ、
そこへ波動はいかないんです。霊妙な細かな
波動というものはずっとあるんです。
 あるんですよ。だけどもそれに気が
つかないようになってる。何時に電話
しなきゃなんない、何時に人が来る、誰と
会う、誰と契約する、どういう仕事をする、
今日は飲み会だとか。そんな時に、神様と
おもう、何かそういうゆとりが人間にない
でしょう。で、祈る場所も祈る対象もね、
一緒に祈る人も会場も、そういう設営と
いいますかしらねえ、そういう場づくりを
して、自分の中にずっと流れてるんだ
けれども、普段はなかなかそこまで降りて
ゆきにくい。そういう霊妙な波動の中に
自分を放り込んでね、本来の(自分の)
明るい自分の発見というものを、祈りの中で
してゆくと。それが統一ということですね。
          (翌日に続く)

posted by wadatsumihirohime at 09:44| 祈り | 更新情報をチェックする