2018年07月02日

統一ということ(2)

       (前日からの続き)
 禅をやってる坊さんたちでも同じこと
です。自分の中に仏がいるんだというとね、
皆自力本願になっちゃって、何か傲慢無礼
のように思いますけれどねえ。あれだって
一つの真理でしてね、自分の中に仏が
いるんだってことは、自分は小宇宙なんだ
ということと一緒なんです。その宇宙という
ものを自覚して、その宇宙の広がりと
いいますか、もっと言葉をやさしく言えば、
自分がその神様からいただいている宇宙の光
でもって、皆さんに少しでもやわらいで
いただくということ。

 例えば、自分の笑顔とか、あるいは、
自分の作った料理を食べてもらって喜んで
もらうとか、そういう、要するに人に仕える
ということ、奉仕ということなんです。奉仕
というものは、ただお金を出すとか、何十万
何百万献金するとか、そういうことでは
ないんです。霊妙なやさしい愛の波動
でもって、どれだけ人に接してゆけるか、
それが奉仕であり、大きく言えば、それが
統一なんですね。

 だけども、なかなかそういう風には、
人間は聖人じゃないから、なりにくいでしょ。
 だから、統一会とか実践会とか色々な会の
名前をつけますけどね、勉強会とか、
何とか道場といってそこへ行くのは、自分の
中の本来の心の朗らかな所へ降りて、そこで
光を出して洗ってもらってね、そうして
高められて又帰る。

 これは、言葉で言ってますからね、こんな
ご大層な言葉になるけれども、やはり、我々
というのは何で存在できてるかというと、
神様のひびきによって存在できてる。その
ひびきというものは何かというと、神様の愛
である。だから、愛深い人になるという
ことが一番大事なんです。この世の中に
生きていく為には、知識・知恵も要ります。
 常識も良識も要りますが、一番大事なのは
愛ですね。多少礼儀がどうだこうだ言っても、
そこに本当に労わりの気持ちというものが
ないことにはね、これは宗教も祈りも何にも
あったもんじゃないんです。例えどこの
宗教に入っていてもいなくてもね、愛深く
人に接することが出来た時に、その人は
本当にやさしく強い神様に愛される人
なんですよ。おろがむ心といいますかね、
天地万象拝む心、そういうものがその人には
もう備わってるんですね。備わるというのは、
何も天性というものではなくって、その人が、
自然な自分の心の流れに従って生きていった
結果、そうなる。だから、その人だけに
出来ることじゃなくって、皆そこを目指して
祈っていくでしょう。
           (翌日に続く)

posted by wadatsumihirohime at 08:35| 祈り | 更新情報をチェックする