2018年08月13日

生命の流れについて

今日は生命の流れということについてお話し
したいと思います。
よく私達は、何か悩んだりすると、一体
自分は何だろう、どっから来て、どこへ
行くんだろうと考える時があるんです。
よくいうじゃあありませんか、行方定めぬ
旅がらすって。

つまり、自分という者は何者なんだろう
ということです。それは、自分が誰と誰を両親に
持って、どこの家に生まれてきたかということは
わかっている。けれど、私達が考え込む時は、
もっと根本的なことでしょ。自分という、
この一つの存在の確かな在り場所、行き場所を
求めているわけです。

で、そういうことを考えている時の人間
というのは、実は、「肉の私」を離れて
いるんです。我知らず魂の私、霊の私に
呼びかけている。はなれるったって、完全に、
たましいの中、霊の中に入り込んでるんじゃ
ありません。丁度、そういう自分にあこがれて、
呼びかけてる状態なのね。

でも、人間がそういう問いかけをする
というのは、ただ落ち込んだばかりではなくて、
実は、そういう生命の流れの在り所、行き所を
つねに確認し、明るい方へ明るい方へと
すすんでゆくのが、元々の性質だからです。

そこで、この生命の流れというのは、単に
この世での70年80年というみじかい時間の
過ぎゆきばかりを指すのではありません。
本当をいってしまえば、私のなかに
流れている生命も、ず─っと、生き通しの
生命なんだから。

そういうことをいうと、先生、人間は死ぬ
じゃありませんかと、きっときいてくる人が
ある。

勿論死にますよ、みんな死ぬ、けれども、
それは、私にいわせれば、肉体を離れる
だけなんだ。肉体世活をおえるだけなんです。

生命というのは、そんな何十年のちゃちなもの
じゃなくて、宇宙が創造された時から、ずーっと
流れつづけている、生きつづけている
ものなんです。

生命には死というものがない、キリスト教で
永遠の生命というけれど、本当にそうなんです。

宇宙のはじめからあるこの生命は、神様、
宇宙神からわかれてきて、段々段々分かれて
私達人間一人一人に分かれてきた。だから私は、
人間というものは、神の分御霊(わけみたま)、
分生命(わけいのち)だというんです。

さあそこで、はい、じゃあ、そうして、
神様から私達に分かれてきた生命があるん
だったら、あなたは、その生命をみたことが
ありますかときかれたら、さあ、どうします? 

みんな、困ってるけど、それは、私が、生命
というものの本体、本質を説いて、宇宙の
はじめまでさかのぼったものだから、みなさんの
生命に対する考え方が、今、えらく遠大に
なってるのね、肉体の想念迄もどるのに、時間が
かかっているわけです。

よくコメディーやなんかで、おやあなた
生きてるんですか、といわれて、みれば
わかるでしょうといい返してるのがあるけど、
生命があるから、こうして生きていて、自分が
いるんだということね。

けれど、自分がここにいる、きいている、
それは生きてるからだということはわかっても、
じゃあ、その一人一人の肉体と心に働いて、
私達を突き動かしているいのちをみたことが
あるか、と、こうきかれるとみんな
考えちゃうのね。

そこで、いいですか、生命というのは、
みなさん一人一人のなかに在って、宿っていて、
みなさんを動かしてるわけです、生かしてる
わけですね、ここまでわかりましょう。

で、その生命の本体というのは、もう素直な
素直な神様の光なんです。いいですか、生命
というのは、本来、けがれもしなけりゃ、傷も
つかない、まっ白な、純白な、かがやきつづけ
ている神様の光なんです。それが、みなさんの
からだの中、肉体も、幽体も、神体もずっと
つらぬいて、宇宙神のみ心にまでずっと
つながってるわけなんです。

人間は、みんな、そういうすごい生命を
一人一人持ってるんです。

私からみると、そういう何物にも痛まない、
傷つかない、神様の生命を持っているという
ことに気付いた人間は、かがやいています。
業というものが、人間の出すおもいという
ものが、辺りをおおっちゃって、それが
自分だと思いまちがいをしている間、私達は
とっても苦しいんだけれど、実は、人間を
突き動かしている生命というものはかがやいて
いて、まっすぐに、すなおに神様につながってる
ものなんだということなんです、
私は、それをいうために、生まれてきた
人間です。

そして、もっと突きつめていくと、肉体を
はなれても、この生命は光を放ち、光を失う
ことはない。

なぜなら、肉体は器、入れ物なんです。
みなさんは、今、この世での役目を果たすために、
肉体をまとっていますけれど、みなさんを
生かしている生命の光は、永遠のものなんです。

いいかえると、生命の流れというものは、
尽きることなく、神の世界にむかって
流れている、悠々と流れている。

このことを知って、どうか、素直に、私は
明るい、私の生命はかがやいていると思って、
祈りの生活をつづけて下さい。

それでは、ありがとうございました。
         五井 昌久                  
     昭和61年7月21日夕方 自宅にて 
posted by wadatsumihirohime at 08:06| 祈り | 更新情報をチェックする