2011年03月06日

世界平和の祈りのなかに生かされて

自由になるために
人間は
生きているのであります
それは
どういう自由かと
いうと
この世の
一切の
とらわれ
不安
恐怖
それらから脱して
明るく朗らかな
神の生命(いのち)へと合流し
遂に
一体になるために
生きているのであります

もともと
私どもは
神から分かれてきた存在
分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)
でありますから
こうした
永遠の生命の流れのなかに入る
ということは
つまりは
ふるさとに
かえることに
他ならないのでありますけれども
私どもは
本来自由であり
朗らかであった
自分自身
というものを
この世に生活している間に
すっかり
忘れてしまっているのであります
それをとりもどすこと
すなわち
明るく朗らかな
本来のいのちにかえるには
何よりも先ず
祈りによらなければなりません
祈りというものは
この世とあの世をつなぐ
光のエレベーターなのです


すべて
真心からの祈りは
光を放っておりますが
なかんずく
世界人類が平和でありますように
という
祈り言にはじまる
世界平和の祈りは
すべての人の大光明心を
神の分生命分霊としての
霊止(ひと)の光
本源の生命の光を
たちまちに放つのであります
それは
この祈りが
救世の大光明霊団という
釈迦、キリストをはじめとする
聖者方をはじめとして
無数の高級神霊や霊人によって
ささえられており
何よりも
神の大愛の愛の光が
祈り人(のりびと)一人一人を
つつんでゆくのであります
しかも
人々は
それぞれ生活の場にあって
何ら
日常に無理を生じないままに
守護の神霊のみちびきによって
常に神界の光をあび
宇宙神の愛の光をあびて
無理なく
人間本来の
やさしく
明るく
さりげなく
朗らかに
生命を生きる
そして
その
生命のすがた

祈りのなかで
益々澄み清まらせてゆくという
実相にむかい
その実相もきえて
光ばかり
という
極みの愛の世界へと
進化してゆくことに
なるので
あります
そのとき
人は
本当に
自由になり
透明になり
ただ
祈りのなかで
絶えることのない
感謝を
ささげてゆく
ということになるので
あります

私の申しております
これらのことは
夢物語ではなく
みなさん
一人びとりのなかに
ともっている
本心が
世界平和の祈りによって
自在となり
かがやきを増してくるときに
かならずおこる事実なのであります

もうすでに
私どもは
この世とあの世を行きかって
本心の光を増すべく
日々瞬々働いている
働かせていただいている
器なのであります
その事実を
この世にあるときに
身にしみて
感じさせていただくのが
祈りであり
世界人類が平和でありますように
という
祈り言(のりごと)とともに 
統一に入ると同時に
人というものは
神の無量の光に
つつまれるものなのであります
それは
世界平和の祈りが
あらゆるちがいをのりこえて
人類一人びとりのなかに
ねむっている神性と
永遠の
地球を含めた
宇宙の調和
愛と
平和というものを
のぞませずには
おかない
からであります

この祈りを唱えるとき
人は誰も
こころのふるさとに
かえるのであります
そのふるさとは

であります
永遠の愛と
くちることのないそして
つきることのない
生命の流れそのものの

であります
そして
私どもは
一人一人
この肉の身に
この永遠を宿して
生きているので
あります
すなわち
私どもは
すでに
永遠者の愛につながって
はなれることは
ないのであります
たとえ
肉体人間のおもいが
ひととき
神のこうした愛から
遠ざかってゆくことがありましても
愛とゆるしの根元である神は
決して
私ども一人一人を
その
ふところから
離すことはないのであります
見捨てることはないのであります

光はいつも
私どもと
倶にあります
光こそ
私どもの生命の
根であります
そして
そのことを
最もよく
あかしし
あらわしているのが
世界平和の祈りなのであります

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様守護神様
ありがとうございます
というこの祈りを
無心に唱えて参りますときに
神の愛によって
私どもが
光のいのちであり
日々
あらたに祈りと感謝によって
このいのちを
あたえられている
ということが
実感されてゆくのであります

天の私と地の私が
合体し
一体となり
ひとりひとりが
光むすぶいのちとして
生きてゆく
永遠に生きてゆく
明るく
朗らかに生きてゆく
祈りのなかに生きてゆく
世界平和の祈りのなかに
生かされてゆく
そして
大元のいのちの不思議を
さとり
よろこび
畏れてゆく
人間が
私どもが
この世に生き
また
あの世に帰るというのは
実にこういうことなのであります

どうぞ
祈り一念の生活のなかで
光のいのちである
自分自身のすがたをおもい
感謝しつつ
生き抜いて下さいますように
それではどうも
ありがとうございました

     平成2年2月24日 記
posted by wadatsumihirohime at 11:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月05日

この世とあの世はひとつづき

祈ってゆくと
自分のなかに光があり
自分自身が光なのだ
ということが
わかってくるんです
それは
守護霊や守護神や
守護の神霊のみちびきのなかで
わかってくるんです
自分のなかに
本心があり
本心の座があり
そこに働いている
光そのものの自分は
何一つ迷わずに
スーッと
神様の方にむかって
歩いてるんです
光にむかって歩き
愛にむかって歩いているんです

祈りは
神にむかって
歩きつづけている事実を
知らしめてくれるものなのであります
あるいは
本心の自分と
肉体の自分
この世に生きている私どもと
あの世に生きている私どもを
つないでゆくものなのです
この二つは
さながらにひとつのいのちなんだ
ずっと私どもは
神の愛と智慧によって
生かされている
生命なんだ
ということを
統一のなかで
祈りのなかで
教えられてゆくのであります
そして
そのとき
私どもは
本当に
自由になって
ゆくのであります
生き生きと
いのちを働かせて下さるものが
神の愛であり
その光明のもとに
むこうの世界でも
この地上以上に
はつらつとして
生きている自分がある
ということを
しらされてゆくときに
私どもは全く
安心立命するので
あります
ひとつづきに
この世と
あの世とが
つづいていて
しかも
そういう
境界も
実は
人の
おもいのなかに
あるもので
真実は
ただ
神の愛ばかりが
のこるのだ
ということを
私は
ここで今日
はっきりと
申し述べて
おきたいのであります

霊界には
また
神界には
数え切れないほどの
階層があります
それは
この地上における
上下関係のような
ものではなく
ひたすら
心の相(すがた)
心境の
高さ低さ
によるのであります

いつも
申しておりますように
私どもの修行と
いいますのは
自分を赦し
人を赦し
自分を愛し
人を愛し
そして
神にどこまでも
すなおに
なってゆく
ということであります

むこうにおりますと
この地上以上に
さまざまな縁者
肉身の波が
かかって参ります
また
自分自身の
過去が
想念を走らせると同時に
あらわれて参ります
それ等一切を
消えてゆく姿とみて
世界平和の祈りのなかに
投げ込んで
神の愛と
光によって
消していただく
守護霊守護神の
愛念によって
消していただく
ということが
もっとも大事なことに
なってゆくのであります
そして
心が澄まされたと
判断されたとき
一瞬のうちに
私どもは
修行の場をうつされるのであります

これらのことは
祈りによらなければ
成し遂げられないし
大いなる生命の本源
神に対する感謝と畏れが
心に湧いて参りますのを
守護の神霊は
細大もらさず
みまもりながら
一人一人の
魂の進化
霊人としての永遠の光を
かがやかしてゆくための進化を
たすけてゆくのであります

人間は神とともに
永遠にとけ込んでゆく存在
なのであります
そのことを
私どもは
祈りのなかで
しらされてゆく
のであります
       平成2年2月23・24日 記
posted by wadatsumihirohime at 09:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月04日

自在にあの世とこの世を行きかっている

霊界というところを
一口でいうのは
とてもむずかしいけれど
一口でいうと
その人の心境が
そのまま
あらわれてくる世界だ
ということが
いえます

思いやりの深い人は
そういう世界に行くし
怒りっぽい人は
怒りっぽい人で
集まっていたりする
そういうものなんです
だから
心をみがいてゆく
といいますか
心を澄ましてゆくことが
第一なのです

それには
とにかく
祈ること
統一することです
でも
統一といっても
何も
かたちにとらわれることは
ありません
歩きながら
電車にのりながら
お風呂のなかで
世界人類が平和でありますように
とやればいいんです

いつかも申しましたように
本来
人間というものは
身体中で祈っているものですから
どんな人だって
本当は
ずっと祈りづめなんです
それなら
宗教はいらないようなものですが
何度も説いておりますように
私どもは
この地球で生活するうちに
業半分光半分
というような存在になって
しまっているのです
肉体波動
この世の波といったものが
そういう屈折を
生み出したのであります

それで
本心は
かがやきつづけておりましても
この世に生きている
「私」
というものが
どうしても自分をかがやいているとは思えない
ということに
なってきて
神様から離れてくらした思いの時間の方が
長くなってしまった
のであります

そこで
先程から申しておりますように
私どもは
真に自由で
朗らかな
自分自身に帰るために
祈りのなかで
自分自身と対面してゆく必要が
あるのであります
これは
さまざまな聖者方が
道を説かれたときも
そうでありましたが
今日ほど
祈りのなかに
自分自身を見出し対面する
ということが求められている
時代は
ないのであります
それは
なぜかと申しますと
もはや
自分一人が
救われればいい
それで事足りる
というような時代では
ないからであります

私ども一人一人が
世界人類すべてが
本心の光を
自らのなかに自覚し
自分達のいのちが
神から分けられてきた
生命(いのち)であり霊であるということを
自覚して
心から
祈ってゆくときに
はじめて
この地球世界は
完全な
浄化が
なされるのであります

私どもがかって
霊であって
この地球に
降りて参りましたときには
一人一人が
地球浄化の使命を
になっていたのでありましたが
今また
世界平和の祈りによって
今度こそ完全な
平和と
愛と
調和が
実現してゆくのであります
そして
私どもが
無心に
祈れば祈るほど
霊界の自分自身も
神界の自分自身も
光のうちに
働くことが
できるのであります
人間というものは
三界をつらぬいて
神に直結している存在であり
本来
自在身でありますが
その自在な働きをつよめ
深めるものは
ただ
ひたすらなる幼な子のような祈りなので
あります

我々は
死んでから
はじめて
あの世に行くのではありません
この世で
日々を送りながら
同時に
あの世にも存在しているもの
なのであります
むこうでの事象が
徐々に
こちらにおりてきて
そして
現実になってゆく
そういう意味で
現世は
あの世の
鏡だということが
いえますが
微妙な霊妙な波動を
光のままにおろして
そして
私どもが
肉体人間のままに
それを受けて
働くために
是非とも必要なのが
祈りなのであります
消えてゆく姿で世界平和の祈り
なのであります

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様守護神様
ありがとうございます
と唱えると同時に
天と地に
光の柱ができるのであります
この世とあの世を
一つに結ぶはしごがかかるのです
そして
この祈りを唱えてゆくときに
守護霊守護神の助けを借りながら
私ども自身が
実は自在に
こちらとむこうを
目にもとまらぬはやさで
行きかっている
というのが
本当のところなのであります

生命(いのち)というものは
尽きることがありません
この世とあの世というのも
実はずっと連なっていて
私どもはいつも
両方の住者なのであり、瞬々刻々の心境に
応じて
その場その場で神に素直になるための修行

おこなっているのであります
               平成2年2月21日
posted by wadatsumihirohime at 10:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする