2017年06月13日

本心にかえる

本心と本心が
あいさつをかわして
光が
結ばれる
いのちと
いのちが
こもごもに
祈りを
かわして
神の
光を
あびる

私たちは
そのいのちを
本心を
この身に
おびているのだ

世界人類が平和でありますように
という
祈り言にのって
私たちは
かぎりなく
あたらしくされる

光の進軍
それは
人類の
高く
深い
進化のための
進軍である

宇宙の星々の
兄弟たちが
天使たちが
前後左右から
私たち
一人びとりのいのちを
ささえて
私たちを
宇宙神の
愛の
みふところへと
先立って
案内の
労を
執って下さるのだ

何も
わずらうことはない
何も
おそれることはない
赤児のように
純に
私たちは
私たち自身の奥にある
光を
世界平和の祈りのなかで
つよめて
ゆけば
いい

今こそ
地球は
平和に
なるべき
時が
きたのである
世界平和の祈り言が
宇宙にとよもし
我々一人びとりが
神の器として
用いられる時が
きたのである

ふんわりと
世界平和の祈りの
エレベーターにのって
光をむすび
いのちを
結んでゆこう
祈りの座
本心の座
神の愛へと
かえってゆこう

本心にかえるということは
ふるさとにかえるということです
ふるさとを
おもうことは
神を呼ぶことです


という
言葉のしたわしさ
なつかしさ
幾多の
詩人たちが
あなたへの
愛をうたった
郷愁をうたった
我しらず
人は
あなたをよび
あなたをしたう

神よ
わが愛のふるさとよ
わが愛のゆきつくところ
わがいのちの
いこうところ

私は
しずかに
本心の座へと
歩む
あなたの
愛へと
あゆむ
      平成元年12月26日
posted by wadatsumihirohime at 08:41| 祈り | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

い の り

 いのりというのはどういうものか
というのは、考えれば考える程
わからなくなる。
 まじめな信者さんである程そういう
質問をよく受けます。
 そういう人ほど良心的で考え込ん
でしまって、自分が出来ていないのに
人に薦める訳にはいかないとか、
共に祈るような資格は私にはないん
じゃないかとか。
 そうなるとちょっとノイローゼに
近い位に悩み込んでしまっている。

 祈りというものは、神様と私の対話
なのです。と同時に、世界人類と私の
祈りでもあります。この場合の世界人類
というのは、地球の世界人類だけでは
なくて、宇宙全体の宇宙の星の兄弟たち
との一人一人との、その交信も含みますね。
 ですから、真に広い幅になる訳です。
 そこまで考えていくと、私共の世界人類が
平和でありますようにという祈りというのは、
非常に大きいし深い。そして、自分が
出来るか出来ないかということではなくて、
もう向こうの方で抱きとってもらってる訳
なんですね。ですから、何も考えずに祈る
というのが一番いい訳なのです。四の五の
言ってる間は理屈なんです。祈りというのは
理屈を超えたものなんです。

 そんなこと言ったって祈れませんという
時は、祈れなくていいのです。集会に
行きたくないのに無理に集会に行ったり、
何か行事があるから絶対に人数がいるから
といって集めたって、それはどうにも
ならないんです。その人の気持ちが
どうにも向かないという時に、無理に
薦めたってそれは萎びるだけなんです。
 本体と肉体は違う訳だから、本体は
行きたければ、さっさと霊体が行っちゃっ
てる訳です。

 自分の肉体がどうであれ、霊体は行って
統一会に出たりなどしている訳ですから、
そこまで我々の肉体人間が神経質になる
ことはないんです。

 ですから、真面目な人ほど色々色々
考えるけれども、しかし、そうじゃなくて、
もう一回、子供みたいに無邪気になって、
世界人類が平和でありますように
という風に祈る。祈って任せる。
 そこからでないと我々の道というのは
開いていかない。
 そういう風に思います。
      昭和63年6月13日(月)
          五井 昌久


posted by wadatsumihirohime at 08:02| 祈り | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

宝について

 私のところへ色んな人が来ます。まあ
こういう言い方をすると誤解する人もある
かもしれないけれども、地位のある人も
来るし、お金を持ってる人も来るし、
社会的に名誉をもってる人にも会ったことは
あるし、かと思うと、その日をどうやって
お米代を出そうかといって悩んでる
悲しんでる人も来ましたし、未だに色んな
人の姿をこちらから見ておりますが、
つくづく思う事は、余分なものを持たない
ことの清しさ。

 ところが、人間というのは余分なものを
持ちたくなる。で又、持ちたいと想う時、
持たされている時というのは、余分なもの
だとは思わないですね。
 例えば、会社に勤めていて、月給が
上がっていく。上がっていくことはそれで
生活が楽になってくる事だから、それは
安心立命の元なんで、良かったですね、
としか言い様がない。普通ならばそうなん
だけれども、段々段々10万円で生活して
いたものが20万になって、20万円で生活
していたんが30万になっていくと、これは、
30万の生活に慣れると、今度逆に、20万
にする10万にするというのは非常に
難しいんですね。今までの生活の習慣
といいますか、これだけの経済で
これだけの事をやっていくというのが、もう
多ければ多いことに慣れているから、それを
減らしてやっていくというのは、何か
自分の立場とか自尊心とか、今までの経歴
とかいうものも全部否定されるような
気になる。だから、なかなか諦めていく
ということは難しい。経済一つとっても、
人間というのはなかなか不自由に出来て
いるんです。

 たとえば、欲というものは良い欲と悪い欲
とあってですね。悪い欲というととらわれて
いるみたいだけれども。何が何でもお金が
欲しい地位が欲しい名誉が欲しいというので、
ガリガリ亡者の様に、そういう気持ちで
ものを求めていって手にしている人
というのを見ると、中身がカラッポと
申しますか、外見だけ色々あるんだけれども、
中身が非常に空虚な感じがする。物質的に
色々持っていても何か非常に虚しい。何に
よってこの人の心は救われていくんだろうか
と気になる。そういう事をつくづく考えて
みると、人間がどういう時に一番自由に
なるんだろうか、どういう時に朗らかに
なるんだろうかということになると、自分を
忘れている時ですね。自分が何処に
属していて、どういう給料をもらっていて、
あるいは今どういう立場で、どういう顔して
生きていくか、生きていかなきゃいけないか、
そういう色んな煩いを忘れていって、そして、
本当に赤児の様な本来の自分の顔を出してる、
その一瞬の時に人間というのは救われて
いく訳ですね。

 それは別に、宗教を持ってるもってないに
関わりなくそうなんです。私共はそういう
我を忘れた本来の自分の素顔、ふっと出す
その素顔が5分でも10分でも15分でも
長続きをして、自分も人も良くなって
いくように祈っていく。光が満ちてく様に
祈っていく、想いや願いではなく、そこへ
祈りが加わって、ついには祈りによって、
自分も人も皆が救われていくと
いいますかね、そういう大きな愛情に
包まれる。そこを目指す訳なんですね。

 だから、実は、そういう風にして空になって
無になって、そこも突き抜けていきますと、
本当に人間というのは、先程から言ってる
ように、自由になって解き放たれる。
 その時に、人間というのは何も持って
いないようだけれども、実は身も心も
突き抜けて、一番の宝物を持ってること
になる、それは何かというと、何ものにも
煩わされない、何ものにも強制されない
自分自身というのがそこへ素直に出せる。
 その時に人間というのは一番安心
するんです。

 それは私の方から言いますと、神様の愛
というものを知って、神様の自分が子供
であるということを知って、神様が全部
知って下すってるそのふるさとへ帰って、
ふっと安らぐ時に、人間というのは一番
安心するんです。そういう風に人間
というのは出来てるもんなんです。神様
というのは我々のふるさとだから、別に
宗教でなくても、芸術であっても何で
あってもとに角人間というのは、その
ふるさとを目指して歩いている旅人みたいな
ものですから、そこへ我々は、どんな形
であっても、その人達を連れて行きたい
と思う訳です。

 自分の中にある宝というものを持ち腐れに
しないで、その宝を確認して祈って
やっていくと、益々自分自身も張り切る
ことが出来るし、輝くことが出来るし、
まわりも喜ぶことが出来る。

 これはもう、自分も他人も両方の成道
なんでしてね。道が成っていくのであります。
 ですから、そこをすべての宗教家は
目指しましたし、私自身もそれを目指して
今までやって来ている訳だし、これからも
やっていく訳であります。その為に、
世界人類が平和でありますようにという
祈りは、誠に絶大な力を発揮する訳
でありまして、唯無心にこの祈りを唱えて、
そうして神様に任せていく。その時に本当に
自分自身が自分自身として生きる。その
喜びの瞬間というものを取り戻すことが
出来る。そうして、それがずっと続いて
いくと、やがて道がついていって、自分も
知らない間に、あーこんな所まで来て
しまったかというような所まで、神様
というのは連れていって下さる。そういう事を
信じて、そうして謙虚になって、この祈りを
唱えていきたいものだと思います。
          昭和63年6月13日   
             五井 昌久
posted by wadatsumihirohime at 09:06| 祈り | 更新情報をチェックする